栄光の“1列車”に乗って・・・
ガタン!

という衝撃で目を覚ますとちょうど広島駅を出発したところで、ふと時計を見ると時刻はまだ5時半。
寝ぼけ眼で眺める夜明け前の静かな風景は、心なしゆっくりと左から右へと流れていきます。
タバコに火を付け眠気覚ましの缶コーヒーを飲みながら、しばらくボーッと外を眺めます。

いよいよ今日は最終日か・・・
そう思うとなんだか寂しくなります。
無情なる“時の流れ”が恨めしくて、ため息ばかり・・・

顔でも洗ってスッキリしようと個室を出て、海側になる通路のブラインドを上げると東の空が白み始めていました。

瀬戸内海か・・・

九州ブルトレ(東京~九州間のブルトレ)では上りの富士山、そして下りの瀬戸内海はビューポイントの一つです。
洗面後、頃合いを見計らって一枚・・・



ちょっと雲が多く、イマイチですね^^;

さぁ、腹が減ったので弁当を食べます。
外を見ると太陽もすっかりと顔を出したようで、田畑の朝露がその朝日に照らされてキラキラと輝いています。
今日は日曜日、通過する駅のホームにいる人の影はまばらです。
平日だと、この時間にブルトレで駅(特に大都市の駅)に停車すると視線を浴びて結構恥ずかしいもんです。
しかしその一方でなんとも言えない優越感というか、この窓ガラス一枚が“日常”と“非日常”を分けていると思うと不思議な感覚になるんですよね。
こんな感覚は新幹線などでは到底味わえないもので、私はこれも寝台列車の醍醐味だと思っています。(仕事でブルトレを使用する方もいるんですけどね^^;)

そうこうするうちに下関に到着。



ん?
なんかちょっと変・・・



あ~
右のライトが外れてる^^;
こんな状態で夜通し走ってきたんですか・・・
運転士も「んん~、なんか暗いな~」って思わなかったのかな?

ここでカマをEF81に交換します・・・



ここでも411号機でした・・・
410号機は直ってないのかな?
ちなみにこの関門間の機関車は交直両用のEF81が引っ張ります。
昔のEF30、その後継のEF81-300番台は海底トンネルでのサビ対策で無塗装のステンレス車体でした。(現在は303、304号機のみ無塗装で、残りはローズピンク)
しかし現在ブルトレを担当する410号機と411号機(300番台は全てJR貨物に所属)は、元々本州の交流区間で使用されていたヤツを改造したもので、ステンレスボディではなく防錆処理を施された鋼製です。
しかも塗色はローズピンク(国鉄色の赤13号)で一般的なEF81と同等・・・
私の小さい頃はこの関門間の機関車にもヘッドマークを付けていた時期がありましたが、今は付けていません。

下関を出るとすぐにトンネルに入ります。
トンネルを出るとデッドセクションを経て交流区間に突入です。
そして門司駅では交流用の機関車に交換しますが、大分へ向かう「富士」の解結作業もあります。
まずはその解結作業を見に行きました・・・



慣れた手つきであっという間に幌が分離され、あとは連結を解除するのみ・・・



そして九州内を担当するED76がゆっくりと登場・・・
ED76はEF81とはまた違う色で赤2号という色です。



小さくホイッスルを鳴らして連結完了。



「はやぶさ」用のカマにも前後にヘッドマークが付いていますね。
基本的に機関車は方向転換(回転)しませんので、上りと下りでヘッドマークの付け替え作業を省くためなのでしょう。
ちなみに、話では「富士」には片方しか付いていないとか・・・
「富士」のカマ交換は「はやぶさ」発車後に行われますので確認できず^^;


ちょいとここで豆知識を・・・
現在の門司駅は、関門鉄道トンネルが出来る以前は「大里駅」で、門司港駅が「門司駅」でした。
で、その「門司駅」に九鉄の本社が置かれていました。(門司駅開業前は博多駅にあり)
国有化後は「門司鉄道管理局」がここに置かれ、九州の鉄道の中心地として繁栄します。

その後関門鉄道トンネルが開通したのですが、その出入り口は「門司駅」と「大里駅」の間だったんです。
そのため主要駅としての機能は「大里駅」に集まり、「門司駅」は単なる支線扱いになってしまいます。
そこで駅名を「大里」→「門司」、「門司」→「門司港」と改称し現在に至ります。
解消後も国鉄の九州総局は「門司港」にあり、JR発足後しばらくはJR九州本社もそこにありましたが、現在は福岡市内にあります。


さぁ、その門司駅を出発して終着駅熊本を目指します。

しばらくすると停車駅以外のある駅で停車します・・・
「赤間駅」です。
何かあったか?と思いきや、車内放送で「ここで後発のソニックに先を譲るためしばらく停車します」とのこと。

ええええ~!

ソニックといえばJR九州の特急列車ですが、この「はやぶさ」も同じ特急列車です。
まぁ列車の速度が違いますから仕方ありませんが、いくら速度は遅いとはいえ「はやぶさ」は東京からの1列車の片割れですよ!(門司からは「はやぶさ」41レとなり「富士」は引き続き1レとなります)
その栄光の列車番号“1”をひっさげて走ってきた列車を抜いていくんですか・・・
東京駅を最初に発車する定期の客車優等列車である“栄光の1列車”(上野口にも1列車は存在しますが・・・)は、何にも邪魔されず「そこどけそこどけ・・・」と最優先される列車だったはずです。
そんな列車が地方の列車に先を譲るとはね・・・

ちょっと・・・いや、かなりショックでした・・・

時刻表の列車名の上に燦然と輝く数字の「1」、あれは今や特別なものではなくなってしまったのか・・・
ここでも“時の流れ”を恨むことになろうとは^^;
あ、“レ”とは“列車のレ”です。

おっと・・・
かなり長くなってしまいました。
最終回は明日に書くことにします^^;

| 鉄道::上り最終「なは」乗車記~さよなら「なは・あかつき」~ | 23:45 | comments (0) | trackback (1) |
終着駅・・・


赤間駅でソニックに抜かれたあと、「はやぶさ」は一路熊本駅を目指して走り始めます。
しばらくすると多々良川の鉄橋を渡りますが、箱崎側に複数の三脚が立っています。
ここは撮影ポイントとして知られていますが、日曜日ということもあってか朝から撮りに来ている方も結構いらっしゃるようですね^^

このあとすぐ博多に到着します。
このとき、徳山から乗り込んでいた車内販売の売り子さんを発見。
販売は博多までですので、ここでコーヒーを買ってみました。

この売り子さん、結構年配な女性でして・・・
カートを重そうに押している姿が印象的でした。
その瞬間に“ブルトレの衰退”を垣間見た気がします。
私が頻繁に乗っていた時期(小中学校時代)はまだ食堂車もあり、車内販売も若い女性が行っていました。
ある時、夜中にお腹が空いてガマンが出来なくなったので食堂車に行ってみたところ、スタッフたちが営業を終えたあとの遅い夕食を食べている最中(だったと思います)
何か食べ物はないか聞いてみたところ「今日はもう終わっちゃったからな~、ゴメンね」と言われうなだれて自分のベッドに戻ったんです。
しかし、しばらくするとウェイトレスが私のあとを追いかけてきて「サンドイッチがまだあったからどうぞ」と私にくれたのです(当然代金は払いましたよ^^;)
このときの記憶は今でも鮮明に覚えています。
あのプラスチックの容器に入った安っぽいサンドイッチがあれほどおいしく感じたことはなかったですね。

そんな食堂車もかなり以前に九州ブルトレから姿を消してしまいました・・・
「日本食堂よりご案内いたします。ただいま食堂車では朝のお食事の準備が整いました。皆様のお越しを心よりお待ちいたしております。食堂車は中程○号車に・・・」なんてアナウンスがヒジョーに懐かしい^^;

な~んてことを考えている間に博多に到着しました。
今回も博多では降りずに熊本まで行くので、4,5時間後にはここ博多駅まで戻ってこなければなりません。
最終的に降りる駅を通り過ぎるというのは奇妙なもんですね^^;

博多を出ると懐かしい竹下駅を通過・・・
ガキの頃何度も訪れた竹下の客車区(現 博多運転区)
「あさかぜ」廃止以降は定位置に眠る青い寝台客車の姿はなく、寂しい限りです・・・

その後南福岡駅を通過・・・
ここは九州最大の車両基地となる南福岡電車区があり、九州各地を走る電車が多数配置されています。
昔は地味な国鉄色の電車ばかりでしたが、今や黒や白、青や赤などカラフルな電車がずらりと並んでます。

そんな車窓を眺めながら気がつくと鳥栖を出ていました・・・
そのあと久留米、大牟田と停車し、そして遂に終着駅熊本への到着アナウンスです。

そして11時49分、定刻に熊本に到着しました。
ホームであの彼としばらく話をしたのですが、彼はなんと操車場まで回送車両を見に行くそうです^^;
私はすぐにでも博多にとんぼ返りをしないと帰宅が遅くなりますので、ここで彼と別れて先に改札へ・・・
寝台券に乗車記念のハンコを押してもらい、博多への「有明」に乗るために再びホームへ・・・



それから約1時間半後に博多に到着し、14時頃過ぎに無事帰宅したのでした。

ちなみに、今回の乗車記の画像は全てPENTAX K10D+DA★16-50mmF2.8で撮ったものです。
動画はIXY DIGITAL 600で、音声はOLYMPUSのボイストレックV-41を使用しました。
外付けのストロボも持って行きましたが、使ったのは行きの熊本駅のホームだけ。
三脚はかさばるので持って行きませんでした。
このDA★16-50mm、かなり気に入りました。
ボケ味はいいとは言えませんが、色乗りはいいですね。
またその“明るさ”と手ぶれ補正の恩恵は計り知れません。
現像はシルキーピクスですが、ホワイトバランスや色に関してはほぼノータッチ(2,3枚だけ彩度を落としたものあり)で、基本的に露出とシャープの微調整のみでした。
リサイズにあたって若干シャープネスをかけ過ぎた感もありますが、まぁブログですからこれでもいいでしょう^^;

以上、これで今回の乗車記は終了です。

上り「なは」の最後を共に過ごすことが出来て大変満足しています。
これも迷惑をかけた友人たちや家族、その他お世話になった方々のおかげです。
そんな皆さんにここで御礼申し上げます。

ありがとうございました。

また長い間多くの人たちの夢を乗せて走り続けてきた「なは・あかつき」よ、ご苦労様でした。
そしてさようなら・・・


| 鉄道::上り最終「なは」乗車記~さよなら「なは・あかつき」~ | 22:43 | comments (0) | trackback (0) |

  
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