2009,04,27, Monday
熊本から鹿児島本線を南下し、八代から肥薩線に入ります。
肥薩線とはなんぞや?とお思いの方にちょいとご説明を・・・
JR九州の前身である九州鉄道の門司(現在の門司港駅)から八代までの路線は、国有化されたあと八代~人吉間を新設して門司~人吉間を「人吉本線」とし、同時に既存の吉松~鹿児島間を「鹿児島線」としました。
その1ヶ月後に人吉~吉松間が難工事の末開通して門司~鹿児島間全線開通となったのを機に「鹿児島本線」と改称されました。
その後、八代~鹿児島間の海沿いの川内(せんだい)線が全通したのを受けて海側を鹿児島本線とし、それまでの鹿児島本線である川線と山線(八代~人吉~鹿児島間)は肥薩線と改称されました。
また、隼人(当時は国分)~鹿児島間は昭和7年に隼人(国分)~都城間の国都線の開通後、それまで日豊本線の一部だった吉松~都城間は吉都線に改称した上で鹿児島~隼人~都城のルートが日豊本線に編入されました。
それによって肥薩線の区間は八代~隼人間となりました。
ちなみに現在の鹿児島本線は八代~川内間が「肥薩オレンジ鉄道」に移管され、門司港~八代、川内~鹿児島間という惨めな姿に相成ってしまいました・・・
一方の”元祖”鹿児島本線である肥薩線は今年で開通100周年を迎えることになり、各種イベントや臨時列車の運行、そしてこの「SL人吉」も「100年レイル肥薩線の旅」と銘打って昨今の肥薩線ブームに参入してきたわけです。
肥薩線は非電化で全線単線です。
時には民家の軒先をかすめるように、そして迫力ある球磨川沿いをゆっくりとしたスピードで走っていきます。
こんな画像しかありませんが、下流域は比較的穏やかで雄大な景色ですが、球磨村近辺に上ると流れの激しいその川に沿って走ります。
一勝地駅で10分の停車。
ここでも地元の方たちが大勢駆けつけてイベントが催されていました。
中には球磨焼酎の飲み放題(試飲)に張り付いている人、SLを一生懸命撮っている人、外の太鼓踊りを見ている人・・・
そして、縁起のいい名前のここ一勝地駅で売っているお守りを模した「必勝祈願」の記念入場券を買っている私を含め多くの人たち・・・
一勝地を出ると約20分で人吉に到着。
乗客があらかた降りたあと、展望室の内部をパチリ。
先頭では相変わらず大勢が写真を撮っていますw
人吉でゆっくりしたいところですが1時間に1本くらいしか列車が出ていませんので、帰宅時間を考えるとあまりゆっくりとはしていられません。
とりあえず駅前でおみやげを買ってちょいと休憩・・・なんてしてるうちに帰りの列車の時刻が近づいてきました。
再び人吉駅に戻り、1番のりばから有名な石造りの機関庫を撮ってみました。
1911年に作られ、現存する石造りの機関庫はここだけだそうです。
ここ人吉駅の1~3番のりばはJR線で、4,5番のりばはくま川鉄道のホームとなっています。
くま川鉄道は元国鉄(JR)湯前線を1989年より第三セクターで運営しています。
また今年4月1日よりくま川鉄道の駅名としては人吉温泉駅と改称されたそうです。
その人吉駅ですが構内は発着する列車の本数からは考えられないくらいに広く、かつてこの駅が要所であったことが想像できます。
さて、帰りはこの13時6分発の「九州横断特急6号」で新八代まで行きます。
この「九州横断特急」は人吉~熊本~別府を約5時間かけて走る特急列車です。
となりに写っているのは「いさぶろう・しんぺい号」の車両です。
この列車は人吉~吉松間を走り、この区間が難工事の末開通した当時の逓信大臣だった山縣伊三郎氏と鉄道院総裁だった後藤新平氏それぞれの名前が列車名の由来となっています。
ちなみに上り列車が「しんぺい」で下り列車が「いさぶろう」です。
「九州横断特急」で約1時間あまり乗り新八代で「リレーつばめ12号」に乗り換えます。
別に新八代で乗り換えなくても熊本まで行ってもいいのですが、せっかくですから九州新幹線のために作られた新駅を見てみたいじゃないですか^^;
ということで、九州新幹線と同じホームから出発する「リレーつばめ」に乗り換えるため狭いホームから狭い階段を上り乗り換え口を探します。
・・・
ない?
どうやら切符を見せて改札を出たあと、一旦外に出て新幹線の駅に向かわなければならないようです・・・
改札を出ると今度は長めの下り階段。
その階段を下りてようやく外に出るとすぐ目の前(その距離わずか数m)に新幹線の駅舎入り口w
オイオイ・・・
これくらいの距離ならそれぞれの改札口を直接繋げろや!!
リレーつばめと九州新幹線の乗り換えは同じホームですから非常に楽です。
しかし在来線同士の乗り換えはものすごく不便です。
在来線の駅から出て新幹線の駅舎を目の前にした瞬間、開いた口がふさがりませんでしたw
検札の時に「ホントに新八代乗り換えでいいんですか?いいんですね?」としつこく尋ねていた理由が分かりました・・・w
しかしJR九州はリレーつばめ以外の乗り換え客は眼中にないのでしょうか・・・?
まぁ本来は新幹線駅を八代駅に併設したかったのですが、訳あって(八代駅そばに何かの工場があって作れなかった・・・だったかな?)こんな畑の真ん中にポツンと立てたざるを得なかったんでしょうから利用者数は見込んでいないはずw
今回は面白いモノを見せてもらった、と思うことにしましょう^^;
恐らく今後二度と新八代での在来線同士の乗り換えはしないことでしょうから・・・w
そんなこんなで16時過ぎに無事博多駅に到着。
人吉から九州横断特急6号以降の列車で帰ってきたとしたら恐らく到着は19時頃になっていたでしょう・・・
子供の機嫌が悪くならないうちに帰って来れてよかった~w
肥薩線とはなんぞや?とお思いの方にちょいとご説明を・・・
JR九州の前身である九州鉄道の門司(現在の門司港駅)から八代までの路線は、国有化されたあと八代~人吉間を新設して門司~人吉間を「人吉本線」とし、同時に既存の吉松~鹿児島間を「鹿児島線」としました。
その1ヶ月後に人吉~吉松間が難工事の末開通して門司~鹿児島間全線開通となったのを機に「鹿児島本線」と改称されました。
その後、八代~鹿児島間の海沿いの川内(せんだい)線が全通したのを受けて海側を鹿児島本線とし、それまでの鹿児島本線である川線と山線(八代~人吉~鹿児島間)は肥薩線と改称されました。
また、隼人(当時は国分)~鹿児島間は昭和7年に隼人(国分)~都城間の国都線の開通後、それまで日豊本線の一部だった吉松~都城間は吉都線に改称した上で鹿児島~隼人~都城のルートが日豊本線に編入されました。
それによって肥薩線の区間は八代~隼人間となりました。
ちなみに現在の鹿児島本線は八代~川内間が「肥薩オレンジ鉄道」に移管され、門司港~八代、川内~鹿児島間という惨めな姿に相成ってしまいました・・・
一方の”元祖”鹿児島本線である肥薩線は今年で開通100周年を迎えることになり、各種イベントや臨時列車の運行、そしてこの「SL人吉」も「100年レイル肥薩線の旅」と銘打って昨今の肥薩線ブームに参入してきたわけです。
肥薩線は非電化で全線単線です。
時には民家の軒先をかすめるように、そして迫力ある球磨川沿いをゆっくりとしたスピードで走っていきます。
こんな画像しかありませんが、下流域は比較的穏やかで雄大な景色ですが、球磨村近辺に上ると流れの激しいその川に沿って走ります。
一勝地駅で10分の停車。
ここでも地元の方たちが大勢駆けつけてイベントが催されていました。
中には球磨焼酎の飲み放題(試飲)に張り付いている人、SLを一生懸命撮っている人、外の太鼓踊りを見ている人・・・
そして、縁起のいい名前のここ一勝地駅で売っているお守りを模した「必勝祈願」の記念入場券を買っている私を含め多くの人たち・・・
一勝地を出ると約20分で人吉に到着。
乗客があらかた降りたあと、展望室の内部をパチリ。
先頭では相変わらず大勢が写真を撮っていますw
人吉でゆっくりしたいところですが1時間に1本くらいしか列車が出ていませんので、帰宅時間を考えるとあまりゆっくりとはしていられません。
とりあえず駅前でおみやげを買ってちょいと休憩・・・なんてしてるうちに帰りの列車の時刻が近づいてきました。
再び人吉駅に戻り、1番のりばから有名な石造りの機関庫を撮ってみました。
1911年に作られ、現存する石造りの機関庫はここだけだそうです。
ここ人吉駅の1~3番のりばはJR線で、4,5番のりばはくま川鉄道のホームとなっています。
くま川鉄道は元国鉄(JR)湯前線を1989年より第三セクターで運営しています。
また今年4月1日よりくま川鉄道の駅名としては人吉温泉駅と改称されたそうです。
その人吉駅ですが構内は発着する列車の本数からは考えられないくらいに広く、かつてこの駅が要所であったことが想像できます。
さて、帰りはこの13時6分発の「九州横断特急6号」で新八代まで行きます。
この「九州横断特急」は人吉~熊本~別府を約5時間かけて走る特急列車です。
となりに写っているのは「いさぶろう・しんぺい号」の車両です。
この列車は人吉~吉松間を走り、この区間が難工事の末開通した当時の逓信大臣だった山縣伊三郎氏と鉄道院総裁だった後藤新平氏それぞれの名前が列車名の由来となっています。
ちなみに上り列車が「しんぺい」で下り列車が「いさぶろう」です。
「九州横断特急」で約1時間あまり乗り新八代で「リレーつばめ12号」に乗り換えます。
別に新八代で乗り換えなくても熊本まで行ってもいいのですが、せっかくですから九州新幹線のために作られた新駅を見てみたいじゃないですか^^;
ということで、九州新幹線と同じホームから出発する「リレーつばめ」に乗り換えるため狭いホームから狭い階段を上り乗り換え口を探します。
・・・
ない?
どうやら切符を見せて改札を出たあと、一旦外に出て新幹線の駅に向かわなければならないようです・・・
改札を出ると今度は長めの下り階段。
その階段を下りてようやく外に出るとすぐ目の前(その距離わずか数m)に新幹線の駅舎入り口w
オイオイ・・・
これくらいの距離ならそれぞれの改札口を直接繋げろや!!
リレーつばめと九州新幹線の乗り換えは同じホームですから非常に楽です。
しかし在来線同士の乗り換えはものすごく不便です。
在来線の駅から出て新幹線の駅舎を目の前にした瞬間、開いた口がふさがりませんでしたw
検札の時に「ホントに新八代乗り換えでいいんですか?いいんですね?」としつこく尋ねていた理由が分かりました・・・w
しかしJR九州はリレーつばめ以外の乗り換え客は眼中にないのでしょうか・・・?
まぁ本来は新幹線駅を八代駅に併設したかったのですが、訳あって(八代駅そばに何かの工場があって作れなかった・・・だったかな?)こんな畑の真ん中にポツンと立てたざるを得なかったんでしょうから利用者数は見込んでいないはずw
今回は面白いモノを見せてもらった、と思うことにしましょう^^;
恐らく今後二度と新八代での在来線同士の乗り換えはしないことでしょうから・・・w
そんなこんなで16時過ぎに無事博多駅に到着。
人吉から九州横断特急6号以降の列車で帰ってきたとしたら恐らく到着は19時頃になっていたでしょう・・・
子供の機嫌が悪くならないうちに帰って来れてよかった~w
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