2014,07,03, Thursday
久しぶりの更新となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
私は相変わらず忙しい日々を過ごしておりますが、ここ最近の仕事量の増加と暑さで少々バテ気味ですw
さて、突然ですが・・・
去る5月28日、嫁の父親が亡くなりました。
1年半ほど前から病気療養中だったのですが、厄介な病気で手の施しようがなかったようです。
あえて病名は書きませんが、投薬治療で病気の進行を抑えて延命していくしか方法がなかったみたいです。
そんな彼も今年春頃までは比較的元気でした。
長時間動くことは難しかったようですが、日常生活における行動はたいてい出来ていました。
しかし5月の終わり、突然何らかの拍子に体調を崩します。
そして27日に「体調があまり良くない」との連絡がありましたが、それほど重篤な様子ではなさそう。
しかしその日の夕方に「今夜が山かもしれないので、出来ればこちらに帰って来て欲しい」との連絡が入ります。
まぁ突然のことで驚きました。
とりあえず嫁と子供の2人を急いで岩手に帰らせることにしたのですが、福岡発の最終便にはどうも間に合いそうにない・・・
東京まで飛んでもその後の新幹線がない・・・
どうする・・・
となると、最後の手段は寝台列車しかない。
サンライズに岡山から乗れば翌朝7時に東京に着く。
それから新幹線に乗り換えて一ノ関に10時前に着けるが、もはやこれが最速だろう。
ということで速攻で5489に電話して空席確認。
幸いツインが空いていたので押さえ、荷物を詰め込んで博多駅に向かいます。
窓口で新幹線のきっぷを買う際にサンライズのシングルデラックスが空いてないか聞いたところ、一つだけ空いているということでそちらに乗変。
ツインで子供も単独で寝せるより、シングルデラックスで添い寝のほうがいいですから・・・
ということで新幹線を見送り私は帰宅します。
家ではとにかく「間に合ってくれ」と祈るばかりでした・・・
しかし・・・
深夜に嫁からメールが来ました。
「たった今亡くなったそうです、間に合わなかった・・・」
と。
彼は最後まで戦っていたそうです。
嫁と子供が列車で向かっているということは彼も分かっていたので、せめて孫の顔を見るまでは・・・と頑張っていたそうです。
医者としてはあまりにも苦しい状況になったら薬で眠らせ、そのまま最期の時を迎えさせるという方針だったそう。
その薬を使うということはもう二度と目を覚ますことのない眠りにつくということ。
朦朧としながらも意識のある中でそんな状況に置かれたらどんな気持ちでしょうか・・・
自分じゃとても耐えられません。
そんな状況で「孫の顔を見るまでは・・・」と最期の力を振り絞って頑張っていた彼ですが、無情にもその願いを叶えることが出来ませんでした。
享年69(満67歳没)
ご冥福をお祈り申し上げます。
私は相変わらず忙しい日々を過ごしておりますが、ここ最近の仕事量の増加と暑さで少々バテ気味ですw
さて、突然ですが・・・
去る5月28日、嫁の父親が亡くなりました。
1年半ほど前から病気療養中だったのですが、厄介な病気で手の施しようがなかったようです。
あえて病名は書きませんが、投薬治療で病気の進行を抑えて延命していくしか方法がなかったみたいです。
そんな彼も今年春頃までは比較的元気でした。
長時間動くことは難しかったようですが、日常生活における行動はたいてい出来ていました。
しかし5月の終わり、突然何らかの拍子に体調を崩します。
そして27日に「体調があまり良くない」との連絡がありましたが、それほど重篤な様子ではなさそう。
しかしその日の夕方に「今夜が山かもしれないので、出来ればこちらに帰って来て欲しい」との連絡が入ります。
まぁ突然のことで驚きました。
とりあえず嫁と子供の2人を急いで岩手に帰らせることにしたのですが、福岡発の最終便にはどうも間に合いそうにない・・・
東京まで飛んでもその後の新幹線がない・・・
どうする・・・
となると、最後の手段は寝台列車しかない。
サンライズに岡山から乗れば翌朝7時に東京に着く。
それから新幹線に乗り換えて一ノ関に10時前に着けるが、もはやこれが最速だろう。
ということで速攻で5489に電話して空席確認。
幸いツインが空いていたので押さえ、荷物を詰め込んで博多駅に向かいます。
窓口で新幹線のきっぷを買う際にサンライズのシングルデラックスが空いてないか聞いたところ、一つだけ空いているということでそちらに乗変。
ツインで子供も単独で寝せるより、シングルデラックスで添い寝のほうがいいですから・・・
ということで新幹線を見送り私は帰宅します。
家ではとにかく「間に合ってくれ」と祈るばかりでした・・・
しかし・・・
深夜に嫁からメールが来ました。
「たった今亡くなったそうです、間に合わなかった・・・」
と。
彼は最後まで戦っていたそうです。
嫁と子供が列車で向かっているということは彼も分かっていたので、せめて孫の顔を見るまでは・・・と頑張っていたそうです。
医者としてはあまりにも苦しい状況になったら薬で眠らせ、そのまま最期の時を迎えさせるという方針だったそう。
その薬を使うということはもう二度と目を覚ますことのない眠りにつくということ。
朦朧としながらも意識のある中でそんな状況に置かれたらどんな気持ちでしょうか・・・
自分じゃとても耐えられません。
そんな状況で「孫の顔を見るまでは・・・」と最期の力を振り絞って頑張っていた彼ですが、無情にもその願いを叶えることが出来ませんでした。
享年69(満67歳没)
ご冥福をお祈り申し上げます。
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