2008,03,22, Saturday
ガタン!
という衝撃で目を覚ますとちょうど広島駅を出発したところで、ふと時計を見ると時刻はまだ5時半。
寝ぼけ眼で眺める夜明け前の静かな風景は、心なしゆっくりと左から右へと流れていきます。
タバコに火を付け眠気覚ましの缶コーヒーを飲みながら、しばらくボーッと外を眺めます。
いよいよ今日は最終日か・・・
そう思うとなんだか寂しくなります。
無情なる“時の流れ”が恨めしくて、ため息ばかり・・・
顔でも洗ってスッキリしようと個室を出て、海側になる通路のブラインドを上げると東の空が白み始めていました。
瀬戸内海か・・・
九州ブルトレ(東京~九州間のブルトレ)では上りの富士山、そして下りの瀬戸内海はビューポイントの一つです。
洗面後、頃合いを見計らって一枚・・・
ちょっと雲が多く、イマイチですね^^;
さぁ、腹が減ったので弁当を食べます。
外を見ると太陽もすっかりと顔を出したようで、田畑の朝露がその朝日に照らされてキラキラと輝いています。
今日は日曜日、通過する駅のホームにいる人の影はまばらです。
平日だと、この時間にブルトレで駅(特に大都市の駅)に停車すると視線を浴びて結構恥ずかしいもんです。
しかしその一方でなんとも言えない優越感というか、この窓ガラス一枚が“日常”と“非日常”を分けていると思うと不思議な感覚になるんですよね。
こんな感覚は新幹線などでは到底味わえないもので、私はこれも寝台列車の醍醐味だと思っています。(仕事でブルトレを使用する方もいるんですけどね^^;)
そうこうするうちに下関に到着。
ん?
なんかちょっと変・・・
あ~
右のライトが外れてる^^;
こんな状態で夜通し走ってきたんですか・・・
運転士も「んん~、なんか暗いな~」って思わなかったのかな?
ここでカマをEF81に交換します・・・
ここでも411号機でした・・・
410号機は直ってないのかな?
ちなみにこの関門間の機関車は交直両用のEF81が引っ張ります。
昔のEF30、その後継のEF81-300番台は海底トンネルでのサビ対策で無塗装のステンレス車体でした。(現在は303、304号機のみ無塗装で、残りはローズピンク)
しかし現在ブルトレを担当する410号機と411号機(300番台は全てJR貨物に所属)は、元々本州の交流区間で使用されていたヤツを改造したもので、ステンレスボディではなく防錆処理を施された鋼製です。
しかも塗色はローズピンク(国鉄色の赤13号)で一般的なEF81と同等・・・
私の小さい頃はこの関門間の機関車にもヘッドマークを付けていた時期がありましたが、今は付けていません。
下関を出るとすぐにトンネルに入ります。
トンネルを出るとデッドセクションを経て交流区間に突入です。
そして門司駅では交流用の機関車に交換しますが、大分へ向かう「富士」の解結作業もあります。
まずはその解結作業を見に行きました・・・
慣れた手つきであっという間に幌が分離され、あとは連結を解除するのみ・・・
そして九州内を担当するED76がゆっくりと登場・・・
ED76はEF81とはまた違う色で赤2号という色です。
小さくホイッスルを鳴らして連結完了。
「はやぶさ」用のカマにも前後にヘッドマークが付いていますね。
基本的に機関車は方向転換(回転)しませんので、上りと下りでヘッドマークの付け替え作業を省くためなのでしょう。
ちなみに、話では「富士」には片方しか付いていないとか・・・
「富士」のカマ交換は「はやぶさ」発車後に行われますので確認できず^^;
ちょいとここで豆知識を・・・
現在の門司駅は、関門鉄道トンネルが出来る以前は「大里駅」で、門司港駅が「門司駅」でした。
で、その「門司駅」に九鉄の本社が置かれていました。(門司駅開業前は博多駅にあり)
国有化後は「門司鉄道管理局」がここに置かれ、九州の鉄道の中心地として繁栄します。
その後関門鉄道トンネルが開通したのですが、その出入り口は「門司駅」と「大里駅」の間だったんです。
そのため主要駅としての機能は「大里駅」に集まり、「門司駅」は単なる支線扱いになってしまいます。
そこで駅名を「大里」→「門司」、「門司」→「門司港」と改称し現在に至ります。
解消後も国鉄の九州総局は「門司港」にあり、JR発足後しばらくはJR九州本社もそこにありましたが、現在は福岡市内にあります。
さぁ、その門司駅を出発して終着駅熊本を目指します。
しばらくすると停車駅以外のある駅で停車します・・・
「赤間駅」です。
何かあったか?と思いきや、車内放送で「ここで後発のソニックに先を譲るためしばらく停車します」とのこと。
ええええ~!
ソニックといえばJR九州の特急列車ですが、この「はやぶさ」も同じ特急列車です。
まぁ列車の速度が違いますから仕方ありませんが、いくら速度は遅いとはいえ「はやぶさ」は東京からの1列車の片割れですよ!(門司からは「はやぶさ」41レとなり「富士」は引き続き1レとなります)
その栄光の列車番号“1”をひっさげて走ってきた列車を抜いていくんですか・・・
東京駅を最初に発車する定期の客車優等列車である“栄光の1列車”(上野口にも1列車は存在しますが・・・)は、何にも邪魔されず「そこどけそこどけ・・・」と最優先される列車だったはずです。
そんな列車が地方の列車に先を譲るとはね・・・
ちょっと・・・いや、かなりショックでした・・・
時刻表の列車名の上に燦然と輝く数字の「1」、あれは今や特別なものではなくなってしまったのか・・・
ここでも“時の流れ”を恨むことになろうとは^^;
あ、“レ”とは“列車のレ”です。
おっと・・・
かなり長くなってしまいました。
最終回は明日に書くことにします^^;
という衝撃で目を覚ますとちょうど広島駅を出発したところで、ふと時計を見ると時刻はまだ5時半。
寝ぼけ眼で眺める夜明け前の静かな風景は、心なしゆっくりと左から右へと流れていきます。
タバコに火を付け眠気覚ましの缶コーヒーを飲みながら、しばらくボーッと外を眺めます。
いよいよ今日は最終日か・・・
そう思うとなんだか寂しくなります。
無情なる“時の流れ”が恨めしくて、ため息ばかり・・・
顔でも洗ってスッキリしようと個室を出て、海側になる通路のブラインドを上げると東の空が白み始めていました。
瀬戸内海か・・・
九州ブルトレ(東京~九州間のブルトレ)では上りの富士山、そして下りの瀬戸内海はビューポイントの一つです。
洗面後、頃合いを見計らって一枚・・・
ちょっと雲が多く、イマイチですね^^;
さぁ、腹が減ったので弁当を食べます。
外を見ると太陽もすっかりと顔を出したようで、田畑の朝露がその朝日に照らされてキラキラと輝いています。
今日は日曜日、通過する駅のホームにいる人の影はまばらです。
平日だと、この時間にブルトレで駅(特に大都市の駅)に停車すると視線を浴びて結構恥ずかしいもんです。
しかしその一方でなんとも言えない優越感というか、この窓ガラス一枚が“日常”と“非日常”を分けていると思うと不思議な感覚になるんですよね。
こんな感覚は新幹線などでは到底味わえないもので、私はこれも寝台列車の醍醐味だと思っています。(仕事でブルトレを使用する方もいるんですけどね^^;)
そうこうするうちに下関に到着。
ん?
なんかちょっと変・・・
あ~
右のライトが外れてる^^;
こんな状態で夜通し走ってきたんですか・・・
運転士も「んん~、なんか暗いな~」って思わなかったのかな?
ここでカマをEF81に交換します・・・
ここでも411号機でした・・・
410号機は直ってないのかな?
ちなみにこの関門間の機関車は交直両用のEF81が引っ張ります。
昔のEF30、その後継のEF81-300番台は海底トンネルでのサビ対策で無塗装のステンレス車体でした。(現在は303、304号機のみ無塗装で、残りはローズピンク)
しかし現在ブルトレを担当する410号機と411号機(300番台は全てJR貨物に所属)は、元々本州の交流区間で使用されていたヤツを改造したもので、ステンレスボディではなく防錆処理を施された鋼製です。
しかも塗色はローズピンク(国鉄色の赤13号)で一般的なEF81と同等・・・
私の小さい頃はこの関門間の機関車にもヘッドマークを付けていた時期がありましたが、今は付けていません。
下関を出るとすぐにトンネルに入ります。
トンネルを出るとデッドセクションを経て交流区間に突入です。
そして門司駅では交流用の機関車に交換しますが、大分へ向かう「富士」の解結作業もあります。
まずはその解結作業を見に行きました・・・
慣れた手つきであっという間に幌が分離され、あとは連結を解除するのみ・・・
そして九州内を担当するED76がゆっくりと登場・・・
ED76はEF81とはまた違う色で赤2号という色です。
小さくホイッスルを鳴らして連結完了。
「はやぶさ」用のカマにも前後にヘッドマークが付いていますね。
基本的に機関車は方向転換(回転)しませんので、上りと下りでヘッドマークの付け替え作業を省くためなのでしょう。
ちなみに、話では「富士」には片方しか付いていないとか・・・
「富士」のカマ交換は「はやぶさ」発車後に行われますので確認できず^^;
ちょいとここで豆知識を・・・
現在の門司駅は、関門鉄道トンネルが出来る以前は「大里駅」で、門司港駅が「門司駅」でした。
で、その「門司駅」に九鉄の本社が置かれていました。(門司駅開業前は博多駅にあり)
国有化後は「門司鉄道管理局」がここに置かれ、九州の鉄道の中心地として繁栄します。
その後関門鉄道トンネルが開通したのですが、その出入り口は「門司駅」と「大里駅」の間だったんです。
そのため主要駅としての機能は「大里駅」に集まり、「門司駅」は単なる支線扱いになってしまいます。
そこで駅名を「大里」→「門司」、「門司」→「門司港」と改称し現在に至ります。
解消後も国鉄の九州総局は「門司港」にあり、JR発足後しばらくはJR九州本社もそこにありましたが、現在は福岡市内にあります。
さぁ、その門司駅を出発して終着駅熊本を目指します。
しばらくすると停車駅以外のある駅で停車します・・・
「赤間駅」です。
何かあったか?と思いきや、車内放送で「ここで後発のソニックに先を譲るためしばらく停車します」とのこと。
ええええ~!
ソニックといえばJR九州の特急列車ですが、この「はやぶさ」も同じ特急列車です。
まぁ列車の速度が違いますから仕方ありませんが、いくら速度は遅いとはいえ「はやぶさ」は東京からの1列車の片割れですよ!(門司からは「はやぶさ」41レとなり「富士」は引き続き1レとなります)
その栄光の列車番号“1”をひっさげて走ってきた列車を抜いていくんですか・・・
東京駅を最初に発車する定期の客車優等列車である“栄光の1列車”(上野口にも1列車は存在しますが・・・)は、何にも邪魔されず「そこどけそこどけ・・・」と最優先される列車だったはずです。
そんな列車が地方の列車に先を譲るとはね・・・
ちょっと・・・いや、かなりショックでした・・・
時刻表の列車名の上に燦然と輝く数字の「1」、あれは今や特別なものではなくなってしまったのか・・・
ここでも“時の流れ”を恨むことになろうとは^^;
あ、“レ”とは“列車のレ”です。
おっと・・・
かなり長くなってしまいました。
最終回は明日に書くことにします^^;
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