2008,03,21, Friday
ホテルのフカフカのベッドから這い出て身支度をします。
そして忘れ物がないかを確認します。
まだあの「なは・あかつき」の余韻の覚めやらぬうちに帰路につくことになり、月曜からはまた仕事かと思うと少々辛いですが、それは仕方ありません。
気持ちを切り替えホテルをチェックアウトし、歩いて数分の名古屋駅へと向かいます。
まぁ帰りも「旅」のうちですから、駅弁でも買ってホームに上がるとします・・・
ウウ・・・
結構寒いな・・・
カバンからトレーナーを取り出して、暖かい缶コーヒーで暖を取ります・・・
乗車する列車の到着時刻まではまだ若干時間があります。
なにげに入ったキオスクで名古屋土産としてかみさんにお菓子と、車内で飲むためのお茶やコーヒーを買い込んでおきます。
ホームの人はまばらで列車の往来も少なく何となく寂しい雰囲気・・・
そして時折轟音とともに貨物列車が通過していきます・・・
こんなちょっと非日常的な光景は大好きです^^;
さて、しばらくすると乗車する列車の案内が流れます。
しかし誰も列を作ることはなく虚しささえ覚えます・・・
復路の列車はこれで、乗るのは「はやぶさ」編成のほうです^^
「なは・あかつき」なき今、この「はやぶさ・富士」は唯一の九州ブルトレとなってしまいました・・・
この列車も来年に廃止される可能性が高く、乗るなら今のうちです^^;
以前に“帰りは何で帰ろうか悩んでる”と書きましたが、本当は15日のうちに新幹線で帰ってこようと思っていたんです。
そうすれば翌日曜日は丸一日ゆっくり出来ますからね。
しかし、個人的に新幹線は「つまらない列車」なんです。
確かに速く静かで快適で、非常に優れた列車です。
けれども、列車での移動中も旅の一部と考える私にはあまりにも味気ない乗り物なんです^^;
ということで、せっかくですから帰りもブルトレで・・・と決意したわけなんですよ。
で、決まったからには切符を確保しておかなければならなかったのですが、決意したのが出発の数日前^^;
すぐに窓口に行って調べてもらうと「はやぶさ」の個室はA寝台個室のシングルデラックスが1室しか空いておらず、しかも奇数番・・・
「はやぶさ・富士」の下り列車では、奇数番は進行方向と逆向きに座ることになります。(ソロは1階の奇数番が前向きで2階の偶数番が後向き)
つまり通常とは逆向きに座る形になるわけです。
「寝台列車なんだから寝てれば一緒じゃん」って思いますが、この列車には翌日の昼前まで乗ることになりますから車窓も楽しみたいですよね^^
しかもこのシングルデラックスの寝台料金はB寝台個室(ここではソロ)の倍以上・・・
ですからこの時点で「はやぶさ」に乗るのをためらってしまいました。
そこで「富士のソロで奇数番は空いてる?」と聞いてみると・・・
「富士なら空いてますよ」・・・と。
どうしよう・・・
小倉まで富士に乗ってあとは普通電車で帰ってくるか・・・
幸い富士には一度も乗ったことないし、いい機会か・・・
ということでこの寝台券を購入し、出発間際までは名古屋から「富士」に乗車する予定でした。
(ちなみに新幹線なら迷わず京都から乗って帰りますが、「はやぶさ・富士」で京都乗車はちときつい。
何せ京都発が0時半頃ですから、それまで時間を持て余しすぎます^^;
まぁ名古屋なら友人も何人かいますし、時間的にも好都合だったんです。)
そして出発の14日朝、博多駅の窓口に寄ってダメ元で聞いてみました。
私:「15日の下りはやぶさでソロは空いてませんかね?」
こういう指定券って当日にキャンセルが出ることが多いらしく、ちょいと期待して答えを待ちます・・・
JR:「空いてますよ・・・一つ」
へ?
私:「奇数番?」
JR:「そうですね・・・」
私:「乗変してください!!」
ということで「はやぶさ」のソロに変更し、帰りも熊本まで乗車することになったのです。
「富士」の山型ヘッドマークも見てみたかったですが、小倉で降りてそのあとを普通電車で帰ってくるのはちょっと悲しいものがありますからね^^;
帰りは「はやぶさ」・・・
ん?
そういえば「なは」で一緒になったあの彼・・・
そう、帰りも同じ列車に乗ることになったのです。
このことは「なは・あかつき」の車内で彼に話しておいたのですが、彼はシングルデラックスだそうで・・・(贅沢やの~)
とここまで長くなりましたが、「はやぶさ・富士」は定刻に滑り込んできました。
停車時間はわずか・・・
急いで3号車に乗り込みます。
するとデッキで声をかけられます。
彼です。
わざわざ出迎えてくれました。
彼は東京であちこち電車で楽しんだようですが、夕方発のこの列車に乗るためにあまり時間を取れずどうも物足りない様子^^;
しかも熊本まで寝ずに起きているそうで・・・
若いって、いいね・・・
そして彼は2号車へ戻っていき、私は自分の寝床である部屋へ入ります。
これが「はやぶさ・富士」のソロです。
「なは・あかつき」のと比べると断然こっちがいいですよ。
なにせ室内で立てますから^^;
ベッド部は2階部が張り出して低くなっていますが問題ありません。
ゴミ箱もありますし、何がいいって荷物を置く場所が上部にちゃんとあります^^;
「なは・あかつき」のソロはベッド上しか置く場所はありませんでしたからね。
ちなみにこの「はやぶさ・富士」は12両編成です。
分散電源方式の14系で双方同じ編成(ソロ、シングルデラックス、開放B寝台x4)の6両づつとなっています。
また、この列車は珍しく上りも下りも前側に「はやぶさ」が連結されます。
ですから、上り「はやぶさ」→下り「富士」→上り「富士」→下り「はやぶさ」→上り「はやぶさ」の繰り返し、という運用になります。
夜中ですから静かに後ろまで行ってみました。
「はやぶさ」編成は開放B寝台もそこそこ乗車しています。
3両ある禁煙車両の下段はほぼ埋まっていましたね。
一方「富士」は・・・
悲しいくらい空いています。
残念ですが、こんな状況では廃止も避けられそうにありませんね・・・
ここで最後尾まできました。
そしておもむろにカメラを構えて撮ってみました・・・
新大阪通過~
あの巨大駅をあっさり通過です^^;
まぁ次の大阪では客扱いの停車がありますが・・・
もうすでに午前1時を回りましたので、この先夜が明けるまで寝ることにしました。
長くなりましたので続きはまた明日・・・
そして忘れ物がないかを確認します。
まだあの「なは・あかつき」の余韻の覚めやらぬうちに帰路につくことになり、月曜からはまた仕事かと思うと少々辛いですが、それは仕方ありません。
気持ちを切り替えホテルをチェックアウトし、歩いて数分の名古屋駅へと向かいます。
まぁ帰りも「旅」のうちですから、駅弁でも買ってホームに上がるとします・・・
ウウ・・・
結構寒いな・・・
カバンからトレーナーを取り出して、暖かい缶コーヒーで暖を取ります・・・
乗車する列車の到着時刻まではまだ若干時間があります。
なにげに入ったキオスクで名古屋土産としてかみさんにお菓子と、車内で飲むためのお茶やコーヒーを買い込んでおきます。
ホームの人はまばらで列車の往来も少なく何となく寂しい雰囲気・・・
そして時折轟音とともに貨物列車が通過していきます・・・
こんなちょっと非日常的な光景は大好きです^^;
さて、しばらくすると乗車する列車の案内が流れます。
しかし誰も列を作ることはなく虚しささえ覚えます・・・
復路の列車はこれで、乗るのは「はやぶさ」編成のほうです^^
「なは・あかつき」なき今、この「はやぶさ・富士」は唯一の九州ブルトレとなってしまいました・・・
この列車も来年に廃止される可能性が高く、乗るなら今のうちです^^;
以前に“帰りは何で帰ろうか悩んでる”と書きましたが、本当は15日のうちに新幹線で帰ってこようと思っていたんです。
そうすれば翌日曜日は丸一日ゆっくり出来ますからね。
しかし、個人的に新幹線は「つまらない列車」なんです。
確かに速く静かで快適で、非常に優れた列車です。
けれども、列車での移動中も旅の一部と考える私にはあまりにも味気ない乗り物なんです^^;
ということで、せっかくですから帰りもブルトレで・・・と決意したわけなんですよ。
で、決まったからには切符を確保しておかなければならなかったのですが、決意したのが出発の数日前^^;
すぐに窓口に行って調べてもらうと「はやぶさ」の個室はA寝台個室のシングルデラックスが1室しか空いておらず、しかも奇数番・・・
「はやぶさ・富士」の下り列車では、奇数番は進行方向と逆向きに座ることになります。(ソロは1階の奇数番が前向きで2階の偶数番が後向き)
つまり通常とは逆向きに座る形になるわけです。
「寝台列車なんだから寝てれば一緒じゃん」って思いますが、この列車には翌日の昼前まで乗ることになりますから車窓も楽しみたいですよね^^
しかもこのシングルデラックスの寝台料金はB寝台個室(ここではソロ)の倍以上・・・
ですからこの時点で「はやぶさ」に乗るのをためらってしまいました。
そこで「富士のソロで奇数番は空いてる?」と聞いてみると・・・
「富士なら空いてますよ」・・・と。
どうしよう・・・
小倉まで富士に乗ってあとは普通電車で帰ってくるか・・・
幸い富士には一度も乗ったことないし、いい機会か・・・
ということでこの寝台券を購入し、出発間際までは名古屋から「富士」に乗車する予定でした。
(ちなみに新幹線なら迷わず京都から乗って帰りますが、「はやぶさ・富士」で京都乗車はちときつい。
何せ京都発が0時半頃ですから、それまで時間を持て余しすぎます^^;
まぁ名古屋なら友人も何人かいますし、時間的にも好都合だったんです。)
そして出発の14日朝、博多駅の窓口に寄ってダメ元で聞いてみました。
私:「15日の下りはやぶさでソロは空いてませんかね?」
こういう指定券って当日にキャンセルが出ることが多いらしく、ちょいと期待して答えを待ちます・・・
JR:「空いてますよ・・・一つ」
へ?
私:「奇数番?」
JR:「そうですね・・・」
私:「乗変してください!!」
ということで「はやぶさ」のソロに変更し、帰りも熊本まで乗車することになったのです。
「富士」の山型ヘッドマークも見てみたかったですが、小倉で降りてそのあとを普通電車で帰ってくるのはちょっと悲しいものがありますからね^^;
帰りは「はやぶさ」・・・
ん?
そういえば「なは」で一緒になったあの彼・・・
そう、帰りも同じ列車に乗ることになったのです。
このことは「なは・あかつき」の車内で彼に話しておいたのですが、彼はシングルデラックスだそうで・・・(贅沢やの~)
とここまで長くなりましたが、「はやぶさ・富士」は定刻に滑り込んできました。
停車時間はわずか・・・
急いで3号車に乗り込みます。
するとデッキで声をかけられます。
彼です。
わざわざ出迎えてくれました。
彼は東京であちこち電車で楽しんだようですが、夕方発のこの列車に乗るためにあまり時間を取れずどうも物足りない様子^^;
しかも熊本まで寝ずに起きているそうで・・・
若いって、いいね・・・
そして彼は2号車へ戻っていき、私は自分の寝床である部屋へ入ります。
これが「はやぶさ・富士」のソロです。
「なは・あかつき」のと比べると断然こっちがいいですよ。
なにせ室内で立てますから^^;
ベッド部は2階部が張り出して低くなっていますが問題ありません。
ゴミ箱もありますし、何がいいって荷物を置く場所が上部にちゃんとあります^^;
「なは・あかつき」のソロはベッド上しか置く場所はありませんでしたからね。
ちなみにこの「はやぶさ・富士」は12両編成です。
分散電源方式の14系で双方同じ編成(ソロ、シングルデラックス、開放B寝台x4)の6両づつとなっています。
また、この列車は珍しく上りも下りも前側に「はやぶさ」が連結されます。
ですから、上り「はやぶさ」→下り「富士」→上り「富士」→下り「はやぶさ」→上り「はやぶさ」の繰り返し、という運用になります。
夜中ですから静かに後ろまで行ってみました。
「はやぶさ」編成は開放B寝台もそこそこ乗車しています。
3両ある禁煙車両の下段はほぼ埋まっていましたね。
一方「富士」は・・・
悲しいくらい空いています。
残念ですが、こんな状況では廃止も避けられそうにありませんね・・・
ここで最後尾まできました。
そしておもむろにカメラを構えて撮ってみました・・・
新大阪通過~
あの巨大駅をあっさり通過です^^;
まぁ次の大阪では客扱いの停車がありますが・・・
もうすでに午前1時を回りましたので、この先夜が明けるまで寝ることにしました。
長くなりましたので続きはまた明日・・・
2008,03,22, Saturday
ガタン!
という衝撃で目を覚ますとちょうど広島駅を出発したところで、ふと時計を見ると時刻はまだ5時半。
寝ぼけ眼で眺める夜明け前の静かな風景は、心なしゆっくりと左から右へと流れていきます。
タバコに火を付け眠気覚ましの缶コーヒーを飲みながら、しばらくボーッと外を眺めます。
いよいよ今日は最終日か・・・
そう思うとなんだか寂しくなります。
無情なる“時の流れ”が恨めしくて、ため息ばかり・・・
顔でも洗ってスッキリしようと個室を出て、海側になる通路のブラインドを上げると東の空が白み始めていました。
瀬戸内海か・・・
九州ブルトレ(東京~九州間のブルトレ)では上りの富士山、そして下りの瀬戸内海はビューポイントの一つです。
洗面後、頃合いを見計らって一枚・・・
ちょっと雲が多く、イマイチですね^^;
さぁ、腹が減ったので弁当を食べます。
外を見ると太陽もすっかりと顔を出したようで、田畑の朝露がその朝日に照らされてキラキラと輝いています。
今日は日曜日、通過する駅のホームにいる人の影はまばらです。
平日だと、この時間にブルトレで駅(特に大都市の駅)に停車すると視線を浴びて結構恥ずかしいもんです。
しかしその一方でなんとも言えない優越感というか、この窓ガラス一枚が“日常”と“非日常”を分けていると思うと不思議な感覚になるんですよね。
こんな感覚は新幹線などでは到底味わえないもので、私はこれも寝台列車の醍醐味だと思っています。(仕事でブルトレを使用する方もいるんですけどね^^;)
そうこうするうちに下関に到着。
ん?
なんかちょっと変・・・
あ~
右のライトが外れてる^^;
こんな状態で夜通し走ってきたんですか・・・
運転士も「んん~、なんか暗いな~」って思わなかったのかな?
ここでカマをEF81に交換します・・・
ここでも411号機でした・・・
410号機は直ってないのかな?
ちなみにこの関門間の機関車は交直両用のEF81が引っ張ります。
昔のEF30、その後継のEF81-300番台は海底トンネルでのサビ対策で無塗装のステンレス車体でした。(現在は303、304号機のみ無塗装で、残りはローズピンク)
しかし現在ブルトレを担当する410号機と411号機(300番台は全てJR貨物に所属)は、元々本州の交流区間で使用されていたヤツを改造したもので、ステンレスボディではなく防錆処理を施された鋼製です。
しかも塗色はローズピンク(国鉄色の赤13号)で一般的なEF81と同等・・・
私の小さい頃はこの関門間の機関車にもヘッドマークを付けていた時期がありましたが、今は付けていません。
下関を出るとすぐにトンネルに入ります。
トンネルを出るとデッドセクションを経て交流区間に突入です。
そして門司駅では交流用の機関車に交換しますが、大分へ向かう「富士」の解結作業もあります。
まずはその解結作業を見に行きました・・・
慣れた手つきであっという間に幌が分離され、あとは連結を解除するのみ・・・
そして九州内を担当するED76がゆっくりと登場・・・
ED76はEF81とはまた違う色で赤2号という色です。
小さくホイッスルを鳴らして連結完了。
「はやぶさ」用のカマにも前後にヘッドマークが付いていますね。
基本的に機関車は方向転換(回転)しませんので、上りと下りでヘッドマークの付け替え作業を省くためなのでしょう。
ちなみに、話では「富士」には片方しか付いていないとか・・・
「富士」のカマ交換は「はやぶさ」発車後に行われますので確認できず^^;
ちょいとここで豆知識を・・・
現在の門司駅は、関門鉄道トンネルが出来る以前は「大里駅」で、門司港駅が「門司駅」でした。
で、その「門司駅」に九鉄の本社が置かれていました。(門司駅開業前は博多駅にあり)
国有化後は「門司鉄道管理局」がここに置かれ、九州の鉄道の中心地として繁栄します。
その後関門鉄道トンネルが開通したのですが、その出入り口は「門司駅」と「大里駅」の間だったんです。
そのため主要駅としての機能は「大里駅」に集まり、「門司駅」は単なる支線扱いになってしまいます。
そこで駅名を「大里」→「門司」、「門司」→「門司港」と改称し現在に至ります。
解消後も国鉄の九州総局は「門司港」にあり、JR発足後しばらくはJR九州本社もそこにありましたが、現在は福岡市内にあります。
さぁ、その門司駅を出発して終着駅熊本を目指します。
しばらくすると停車駅以外のある駅で停車します・・・
「赤間駅」です。
何かあったか?と思いきや、車内放送で「ここで後発のソニックに先を譲るためしばらく停車します」とのこと。
ええええ~!
ソニックといえばJR九州の特急列車ですが、この「はやぶさ」も同じ特急列車です。
まぁ列車の速度が違いますから仕方ありませんが、いくら速度は遅いとはいえ「はやぶさ」は東京からの1列車の片割れですよ!(門司からは「はやぶさ」41レとなり「富士」は引き続き1レとなります)
その栄光の列車番号“1”をひっさげて走ってきた列車を抜いていくんですか・・・
東京駅を最初に発車する定期の客車優等列車である“栄光の1列車”(上野口にも1列車は存在しますが・・・)は、何にも邪魔されず「そこどけそこどけ・・・」と最優先される列車だったはずです。
そんな列車が地方の列車に先を譲るとはね・・・
ちょっと・・・いや、かなりショックでした・・・
時刻表の列車名の上に燦然と輝く数字の「1」、あれは今や特別なものではなくなってしまったのか・・・
ここでも“時の流れ”を恨むことになろうとは^^;
あ、“レ”とは“列車のレ”です。
おっと・・・
かなり長くなってしまいました。
最終回は明日に書くことにします^^;
という衝撃で目を覚ますとちょうど広島駅を出発したところで、ふと時計を見ると時刻はまだ5時半。
寝ぼけ眼で眺める夜明け前の静かな風景は、心なしゆっくりと左から右へと流れていきます。
タバコに火を付け眠気覚ましの缶コーヒーを飲みながら、しばらくボーッと外を眺めます。
いよいよ今日は最終日か・・・
そう思うとなんだか寂しくなります。
無情なる“時の流れ”が恨めしくて、ため息ばかり・・・
顔でも洗ってスッキリしようと個室を出て、海側になる通路のブラインドを上げると東の空が白み始めていました。
瀬戸内海か・・・
九州ブルトレ(東京~九州間のブルトレ)では上りの富士山、そして下りの瀬戸内海はビューポイントの一つです。
洗面後、頃合いを見計らって一枚・・・
ちょっと雲が多く、イマイチですね^^;
さぁ、腹が減ったので弁当を食べます。
外を見ると太陽もすっかりと顔を出したようで、田畑の朝露がその朝日に照らされてキラキラと輝いています。
今日は日曜日、通過する駅のホームにいる人の影はまばらです。
平日だと、この時間にブルトレで駅(特に大都市の駅)に停車すると視線を浴びて結構恥ずかしいもんです。
しかしその一方でなんとも言えない優越感というか、この窓ガラス一枚が“日常”と“非日常”を分けていると思うと不思議な感覚になるんですよね。
こんな感覚は新幹線などでは到底味わえないもので、私はこれも寝台列車の醍醐味だと思っています。(仕事でブルトレを使用する方もいるんですけどね^^;)
そうこうするうちに下関に到着。
ん?
なんかちょっと変・・・
あ~
右のライトが外れてる^^;
こんな状態で夜通し走ってきたんですか・・・
運転士も「んん~、なんか暗いな~」って思わなかったのかな?
ここでカマをEF81に交換します・・・
ここでも411号機でした・・・
410号機は直ってないのかな?
ちなみにこの関門間の機関車は交直両用のEF81が引っ張ります。
昔のEF30、その後継のEF81-300番台は海底トンネルでのサビ対策で無塗装のステンレス車体でした。(現在は303、304号機のみ無塗装で、残りはローズピンク)
しかし現在ブルトレを担当する410号機と411号機(300番台は全てJR貨物に所属)は、元々本州の交流区間で使用されていたヤツを改造したもので、ステンレスボディではなく防錆処理を施された鋼製です。
しかも塗色はローズピンク(国鉄色の赤13号)で一般的なEF81と同等・・・
私の小さい頃はこの関門間の機関車にもヘッドマークを付けていた時期がありましたが、今は付けていません。
下関を出るとすぐにトンネルに入ります。
トンネルを出るとデッドセクションを経て交流区間に突入です。
そして門司駅では交流用の機関車に交換しますが、大分へ向かう「富士」の解結作業もあります。
まずはその解結作業を見に行きました・・・
慣れた手つきであっという間に幌が分離され、あとは連結を解除するのみ・・・
そして九州内を担当するED76がゆっくりと登場・・・
ED76はEF81とはまた違う色で赤2号という色です。
小さくホイッスルを鳴らして連結完了。
「はやぶさ」用のカマにも前後にヘッドマークが付いていますね。
基本的に機関車は方向転換(回転)しませんので、上りと下りでヘッドマークの付け替え作業を省くためなのでしょう。
ちなみに、話では「富士」には片方しか付いていないとか・・・
「富士」のカマ交換は「はやぶさ」発車後に行われますので確認できず^^;
ちょいとここで豆知識を・・・
現在の門司駅は、関門鉄道トンネルが出来る以前は「大里駅」で、門司港駅が「門司駅」でした。
で、その「門司駅」に九鉄の本社が置かれていました。(門司駅開業前は博多駅にあり)
国有化後は「門司鉄道管理局」がここに置かれ、九州の鉄道の中心地として繁栄します。
その後関門鉄道トンネルが開通したのですが、その出入り口は「門司駅」と「大里駅」の間だったんです。
そのため主要駅としての機能は「大里駅」に集まり、「門司駅」は単なる支線扱いになってしまいます。
そこで駅名を「大里」→「門司」、「門司」→「門司港」と改称し現在に至ります。
解消後も国鉄の九州総局は「門司港」にあり、JR発足後しばらくはJR九州本社もそこにありましたが、現在は福岡市内にあります。
さぁ、その門司駅を出発して終着駅熊本を目指します。
しばらくすると停車駅以外のある駅で停車します・・・
「赤間駅」です。
何かあったか?と思いきや、車内放送で「ここで後発のソニックに先を譲るためしばらく停車します」とのこと。
ええええ~!
ソニックといえばJR九州の特急列車ですが、この「はやぶさ」も同じ特急列車です。
まぁ列車の速度が違いますから仕方ありませんが、いくら速度は遅いとはいえ「はやぶさ」は東京からの1列車の片割れですよ!(門司からは「はやぶさ」41レとなり「富士」は引き続き1レとなります)
その栄光の列車番号“1”をひっさげて走ってきた列車を抜いていくんですか・・・
東京駅を最初に発車する定期の客車優等列車である“栄光の1列車”(上野口にも1列車は存在しますが・・・)は、何にも邪魔されず「そこどけそこどけ・・・」と最優先される列車だったはずです。
そんな列車が地方の列車に先を譲るとはね・・・
ちょっと・・・いや、かなりショックでした・・・
時刻表の列車名の上に燦然と輝く数字の「1」、あれは今や特別なものではなくなってしまったのか・・・
ここでも“時の流れ”を恨むことになろうとは^^;
あ、“レ”とは“列車のレ”です。
おっと・・・
かなり長くなってしまいました。
最終回は明日に書くことにします^^;
2008,03,23, Sunday
赤間駅でソニックに抜かれたあと、「はやぶさ」は一路熊本駅を目指して走り始めます。
しばらくすると多々良川の鉄橋を渡りますが、箱崎側に複数の三脚が立っています。
ここは撮影ポイントとして知られていますが、日曜日ということもあってか朝から撮りに来ている方も結構いらっしゃるようですね^^
このあとすぐ博多に到着します。
このとき、徳山から乗り込んでいた車内販売の売り子さんを発見。
販売は博多までですので、ここでコーヒーを買ってみました。
この売り子さん、結構年配な女性でして・・・
カートを重そうに押している姿が印象的でした。
その瞬間に“ブルトレの衰退”を垣間見た気がします。
私が頻繁に乗っていた時期(小中学校時代)はまだ食堂車もあり、車内販売も若い女性が行っていました。
ある時、夜中にお腹が空いてガマンが出来なくなったので食堂車に行ってみたところ、スタッフたちが営業を終えたあとの遅い夕食を食べている最中(だったと思います)
何か食べ物はないか聞いてみたところ「今日はもう終わっちゃったからな~、ゴメンね」と言われうなだれて自分のベッドに戻ったんです。
しかし、しばらくするとウェイトレスが私のあとを追いかけてきて「サンドイッチがまだあったからどうぞ」と私にくれたのです(当然代金は払いましたよ^^;)
このときの記憶は今でも鮮明に覚えています。
あのプラスチックの容器に入った安っぽいサンドイッチがあれほどおいしく感じたことはなかったですね。
そんな食堂車もかなり以前に九州ブルトレから姿を消してしまいました・・・
「日本食堂よりご案内いたします。ただいま食堂車では朝のお食事の準備が整いました。皆様のお越しを心よりお待ちいたしております。食堂車は中程○号車に・・・」なんてアナウンスがヒジョーに懐かしい^^;
な~んてことを考えている間に博多に到着しました。
今回も博多では降りずに熊本まで行くので、4,5時間後にはここ博多駅まで戻ってこなければなりません。
最終的に降りる駅を通り過ぎるというのは奇妙なもんですね^^;
博多を出ると懐かしい竹下駅を通過・・・
ガキの頃何度も訪れた竹下の客車区(現 博多運転区)
「あさかぜ」廃止以降は定位置に眠る青い寝台客車の姿はなく、寂しい限りです・・・
その後南福岡駅を通過・・・
ここは九州最大の車両基地となる南福岡電車区があり、九州各地を走る電車が多数配置されています。
昔は地味な国鉄色の電車ばかりでしたが、今や黒や白、青や赤などカラフルな電車がずらりと並んでます。
そんな車窓を眺めながら気がつくと鳥栖を出ていました・・・
そのあと久留米、大牟田と停車し、そして遂に終着駅熊本への到着アナウンスです。
そして11時49分、定刻に熊本に到着しました。
ホームであの彼としばらく話をしたのですが、彼はなんと操車場まで回送車両を見に行くそうです^^;
私はすぐにでも博多にとんぼ返りをしないと帰宅が遅くなりますので、ここで彼と別れて先に改札へ・・・
寝台券に乗車記念のハンコを押してもらい、博多への「有明」に乗るために再びホームへ・・・
それから約1時間半後に博多に到着し、14時頃過ぎに無事帰宅したのでした。
ちなみに、今回の乗車記の画像は全てPENTAX K10D+DA★16-50mmF2.8で撮ったものです。
動画はIXY DIGITAL 600で、音声はOLYMPUSのボイストレックV-41を使用しました。
外付けのストロボも持って行きましたが、使ったのは行きの熊本駅のホームだけ。
三脚はかさばるので持って行きませんでした。
このDA★16-50mm、かなり気に入りました。
ボケ味はいいとは言えませんが、色乗りはいいですね。
またその“明るさ”と手ぶれ補正の恩恵は計り知れません。
現像はシルキーピクスですが、ホワイトバランスや色に関してはほぼノータッチ(2,3枚だけ彩度を落としたものあり)で、基本的に露出とシャープの微調整のみでした。
リサイズにあたって若干シャープネスをかけ過ぎた感もありますが、まぁブログですからこれでもいいでしょう^^;
以上、これで今回の乗車記は終了です。
上り「なは」の最後を共に過ごすことが出来て大変満足しています。
これも迷惑をかけた友人たちや家族、その他お世話になった方々のおかげです。
そんな皆さんにここで御礼申し上げます。
ありがとうございました。
また長い間多くの人たちの夢を乗せて走り続けてきた「なは・あかつき」よ、ご苦労様でした。
そしてさようなら・・・
2008,05,02, Friday
ハウステンボスから帰ってきた翌朝、見上げれば抜けるような青空が広がっていました。
この日は一日家でゆっくりするつもりだったのですが、こんな時に家に籠もっているのはなんか損した気分になりますw
ということで前から一度行ってみたかった門司港へ行ってきました。
高速に乗って1時間ほどで到着。
しかし駐車場入り口には長い車列が・・・
やっと駐車して外に出ると辺りは綺麗に整備されてます。
ここは「門司港レトロ地区」として開発されており、展望室や商業施設などの近代的な建物がレトロな建物に混じってちょっと不思議な雰囲気です。
あちこちに出店が軒を連ね、観光客で賑わっていました。
今回はある場所へ行くのが目的ですので、その場所まで歩いてみます。
まず目に飛び込んできたのは旧門司税関です。
なんでもここでジュディーオングのサイン会があるとかで大勢の人が並んでいます。
カメラなんて向ける気になりません・・・
その向かいにあるのがこれ・・・
国際友好記念図書館です。
なかなか歴史ある建物・・・と思いきや、平成6年に建てられた“複製”です。
背後にそびえ立って邪魔している黒い建物は「レトロハイマート」という高層マンションで、その31階に展望室があります。
その後海峡プラザなどの商業施設などをみて門司港駅を目指しますが、そろそろ腹が減ってきました^^;
ちょうど「伽哩本舗」があったので焼きカレーを食べて腹ごしらえします。
ここの伽哩本舗で食べなくても博多で食べられるんですけどね・・・
さて、門司港駅の登場です。
この駅は30年近く前、親戚の家に来たとき以来です。
あれからその姿は何ら変わっていない・・・はずw
これは「帰り水」と言う名前が付いていました。
この駅が建てられたのが1914年で、この水道はその当時からあるそうです。
門司港駅は九州の玄関口として賑わっていましたが、この水道の水が外地から引き上げてきた人などを「お帰りなさい」と癒してくれたのでしょう。
門司港駅の横に立っているこの古いビルは旧三井物産門司支店です。
私には「門鉄ビル」のほうがしっくり来ますね^^;
これは1937年に三井物産が建てました。
戦後の財閥解体により国鉄の手に渡り、国鉄九州総局、門司鉄道管理局がここに置かれます。
その後国鉄民営化で発足したJR九州の本社も2001年に博多駅中央街に移転するまでここにありました。
現在は使用されておらず中にも入ることができません。
そのお向かいに立っているお洒落な建物は・・・
1921年に建てられた旧門司三井倶楽部です。
これは三井物産門司支店の社交倶楽部で、その後に門鉄倶楽部として利用されていた建物です。
1990年に現在の場所に移築されました。
さて、いよいよ目的地に到着です・・・
そう、九州鉄道記念館です^^
規模は小さいのですが、前から一度行ってみたかったんですよね。
入るとすぐにC591やボンネット型の481系、そして電車寝台の581系などが展示されています。
その横のスロープを上がると本館の登場。
この建物は九州鉄道本社として明治24年に建てられたもの。
九州鉄道といえば九州初の鉄道会社。
いわば現在のJR九州の元祖のようなもんです。
その後明治40年に鉄道国有法により買収され国有化。
昭和24年、先ほど登場した門鉄ビルに移るまで鉄道管理局がここに置かれていました。
昭和62年の国鉄民営化後は国鉄清算事業団の九州支所となり、今から5年前に記念館として生まれ変わりました。
この建物、現在の入り口は当時の裏口にあたります。
国道3号線に面した当時の玄関は現在使われていません。
さて、この記念館の中はというと・・・
古い資料の展示、運転シミュレータ、明治時代の車両を再現したり大きな鉄道模型、そして売店や喫茶店まであります。
さぁ、これで私の欲求は満たされましたので帰りましょう。
しかしこのまますんなり帰ってはかみさんに申し訳ありません。
罪滅ぼしにと買い物のお供をさせていただきましたw
この日のラストショットはこれ・・・
駐車場を囲んでいる壁なのですが、実はこれレトロハイマートの建っている場所にあった門司港最古の赤煉瓦倉庫の壁なんです。
北九州市が門司港レトロ事業を始めた頃、地元の業者が転売目的でこの倉庫を買収したのですが折り合いが付きませんでした。
すると業者は反対を押し切ってこの貴重な建物を取り壊してしまったんですね・・・
その時壁だけは保存されて現在は駐車場を囲んでいるわけです。
これはいわば門司港の“嘆きの壁”ですね。
この日は一日家でゆっくりするつもりだったのですが、こんな時に家に籠もっているのはなんか損した気分になりますw
ということで前から一度行ってみたかった門司港へ行ってきました。
高速に乗って1時間ほどで到着。
しかし駐車場入り口には長い車列が・・・
やっと駐車して外に出ると辺りは綺麗に整備されてます。
ここは「門司港レトロ地区」として開発されており、展望室や商業施設などの近代的な建物がレトロな建物に混じってちょっと不思議な雰囲気です。
あちこちに出店が軒を連ね、観光客で賑わっていました。
今回はある場所へ行くのが目的ですので、その場所まで歩いてみます。
まず目に飛び込んできたのは旧門司税関です。
なんでもここでジュディーオングのサイン会があるとかで大勢の人が並んでいます。
カメラなんて向ける気になりません・・・
その向かいにあるのがこれ・・・
国際友好記念図書館です。
なかなか歴史ある建物・・・と思いきや、平成6年に建てられた“複製”です。
背後にそびえ立って邪魔している黒い建物は「レトロハイマート」という高層マンションで、その31階に展望室があります。
その後海峡プラザなどの商業施設などをみて門司港駅を目指しますが、そろそろ腹が減ってきました^^;
ちょうど「伽哩本舗」があったので焼きカレーを食べて腹ごしらえします。
ここの伽哩本舗で食べなくても博多で食べられるんですけどね・・・
さて、門司港駅の登場です。
この駅は30年近く前、親戚の家に来たとき以来です。
あれからその姿は何ら変わっていない・・・はずw
これは「帰り水」と言う名前が付いていました。
この駅が建てられたのが1914年で、この水道はその当時からあるそうです。
門司港駅は九州の玄関口として賑わっていましたが、この水道の水が外地から引き上げてきた人などを「お帰りなさい」と癒してくれたのでしょう。
門司港駅の横に立っているこの古いビルは旧三井物産門司支店です。
私には「門鉄ビル」のほうがしっくり来ますね^^;
これは1937年に三井物産が建てました。
戦後の財閥解体により国鉄の手に渡り、国鉄九州総局、門司鉄道管理局がここに置かれます。
その後国鉄民営化で発足したJR九州の本社も2001年に博多駅中央街に移転するまでここにありました。
現在は使用されておらず中にも入ることができません。
そのお向かいに立っているお洒落な建物は・・・
1921年に建てられた旧門司三井倶楽部です。
これは三井物産門司支店の社交倶楽部で、その後に門鉄倶楽部として利用されていた建物です。
1990年に現在の場所に移築されました。
さて、いよいよ目的地に到着です・・・
そう、九州鉄道記念館です^^
規模は小さいのですが、前から一度行ってみたかったんですよね。
入るとすぐにC591やボンネット型の481系、そして電車寝台の581系などが展示されています。
その横のスロープを上がると本館の登場。
この建物は九州鉄道本社として明治24年に建てられたもの。
九州鉄道といえば九州初の鉄道会社。
いわば現在のJR九州の元祖のようなもんです。
その後明治40年に鉄道国有法により買収され国有化。
昭和24年、先ほど登場した門鉄ビルに移るまで鉄道管理局がここに置かれていました。
昭和62年の国鉄民営化後は国鉄清算事業団の九州支所となり、今から5年前に記念館として生まれ変わりました。
この建物、現在の入り口は当時の裏口にあたります。
国道3号線に面した当時の玄関は現在使われていません。
さて、この記念館の中はというと・・・
古い資料の展示、運転シミュレータ、明治時代の車両を再現したり大きな鉄道模型、そして売店や喫茶店まであります。
さぁ、これで私の欲求は満たされましたので帰りましょう。
しかしこのまますんなり帰ってはかみさんに申し訳ありません。
罪滅ぼしにと買い物のお供をさせていただきましたw
この日のラストショットはこれ・・・
駐車場を囲んでいる壁なのですが、実はこれレトロハイマートの建っている場所にあった門司港最古の赤煉瓦倉庫の壁なんです。
北九州市が門司港レトロ事業を始めた頃、地元の業者が転売目的でこの倉庫を買収したのですが折り合いが付きませんでした。
すると業者は反対を押し切ってこの貴重な建物を取り壊してしまったんですね・・・
その時壁だけは保存されて現在は駐車場を囲んでいるわけです。
これはいわば門司港の“嘆きの壁”ですね。
2008,06,15, Sunday
今日は朝から雨、雨、雨、、、
こんな雨の中“あるもの”を撮りに行ってきました。
まぁ撮りに行くと行っても単なる「記録」として収めたくてね・・・
東京~熊本間を走る寝台特急「はやぶさ」です。
場所は竹下の博多運転区、旅支度を調え出発の時を静かに待っていました。
ん?
はやぶさなら熊本じゃねぇの?
まぁ本来ならこの竹下にいるはずがないのですが、実は昨晩の下り「富士・はやぶさ」が本州内で起きた複数の人身事故により大幅に遅延。
今朝は2時間半遅れで九州入りして博多で運転打ち切り(門司で分かれた「富士」は終着大分まで行ったそうです)となった・・・というニュースを12時頃知りました。
昔、幼少の頃は小運転線(回送線)で竹下客車区(現 博多運転区)に回送される「あさかぜ」を何度も撮りに出かけましたが、ここを通るブルトレはその「博多あさかぜ」廃止後は今回のような時にしかお目にかかれません。
ですからそのニュースを知って速攻で撮りに出かけようと思ったのですが、ちょうどその頃雨が強く降っていまして・・・
とてもじゃありませんが福岡市の外れから出かける気にはなれませんでしたw
しかしどうしても諦めきれません。
どうするか・・・
とその時かみさんが「夕方スーパーまで連れて行って」と・・・
お!
「いいよ~、その代わりちょっと寄り道させてね」
と言うことで竹下~博多間で上り「はやぶさ」を撮りに行くことにしたのです。
で、まずはどこにいるのか確認のため竹下の博多運転区周辺を車で回ります。
そこで最初の画像にある「はやぶさ」を発見。
もっと近くで、しかも前から撮れるところはないかと探しましたが・・・
ムリでした。
昔の「あさかぜ」は竹下客車区(当時)の一番南に泊められていたのですが、ここは竹下駅のホームよりも北側にあり撮影は困難。
雨でしたのでレンズは防滴の16-50mmのみ・・・
これが限界です^^;
そして今回の目的地に移動します。
場所は美野島のガード南側、昔は筑肥線が走っていた辺りです。
今はその筑肥線もなくなり、そのそばにあった九州松下電器への引き込み線もなくなり、それによって空いた場所にJR九州の美野島寮が建っています。
その場所に私を含めて計3人がカメラを構えて待ちます。
今晩博多を発つのが17時33分(のはず)ですから、遅くても30分までには現れるでしょう。
すると博多からの回送(ソニック)がやってきたので、練習がてら撮ってみます。
「はやぶさ」の本番では、上記のような構図で撮れるはず・・・でした。
そのソニックが回送下り線に待避してしばらく止まっています。
恐らくそこを上りの回送列車が来るのでしょう・・・
時間もそろそろ30分を回ろうとしてますので、次にここを通る列車が「はやぶさ」でしょう。
しかし実際に現れたのは黒い787系・・・
ええええ?
博多の発時間が変更になったとか?
その787系が博多駅へとゆっくりゆっくり上っていきます・・・
と、その時!!
背後に見覚えのある青い列車が~!!
あああ~っ!!
慌ててシャッターを押しましたが、時すでに遅し・・・
しかも予想に反して本線を走行していったではありませんか!
まぁ本来はこの時間に本線を走行する列車ですから、当然と言えば当然なのですが・・・
それより悔やまれるのが「はやぶさ」の発見が遅れたこと。
これはこのとき回送線を上っていた787系の影に隠れてしまって全く見えなかったんですよ~(上のソニックの画像を見ると被って見えないことが分かると思います)
こういうことに詳しい熱心な鉄道ファンなら「この時間には回送列車がここを通るから、はやぶさは本線を通るのでは・・・」と予想できたのかもしれませんが^^;
後ろで撮っていた人も私と同じ心境だったようで「まさかあっちとは・・・」と方を落としていました。
この方、ペンタックスのFA☆レンズにタオルを巻いて、自身はカッパを着て大きな三脚で気合いが入っていたのですが、上手く撮れたのかな?
結局小雨の降る中私が撮れたのは柱などに串刺しになった機関車や下の画像のようなつまらないものばかり・・・
撃沈っすw
こんな雨の中“あるもの”を撮りに行ってきました。
まぁ撮りに行くと行っても単なる「記録」として収めたくてね・・・
東京~熊本間を走る寝台特急「はやぶさ」です。
場所は竹下の博多運転区、旅支度を調え出発の時を静かに待っていました。
ん?
はやぶさなら熊本じゃねぇの?
まぁ本来ならこの竹下にいるはずがないのですが、実は昨晩の下り「富士・はやぶさ」が本州内で起きた複数の人身事故により大幅に遅延。
今朝は2時間半遅れで九州入りして博多で運転打ち切り(門司で分かれた「富士」は終着大分まで行ったそうです)となった・・・というニュースを12時頃知りました。
昔、幼少の頃は小運転線(回送線)で竹下客車区(現 博多運転区)に回送される「あさかぜ」を何度も撮りに出かけましたが、ここを通るブルトレはその「博多あさかぜ」廃止後は今回のような時にしかお目にかかれません。
ですからそのニュースを知って速攻で撮りに出かけようと思ったのですが、ちょうどその頃雨が強く降っていまして・・・
とてもじゃありませんが福岡市の外れから出かける気にはなれませんでしたw
しかしどうしても諦めきれません。
どうするか・・・
とその時かみさんが「夕方スーパーまで連れて行って」と・・・
お!
「いいよ~、その代わりちょっと寄り道させてね」
と言うことで竹下~博多間で上り「はやぶさ」を撮りに行くことにしたのです。
で、まずはどこにいるのか確認のため竹下の博多運転区周辺を車で回ります。
そこで最初の画像にある「はやぶさ」を発見。
もっと近くで、しかも前から撮れるところはないかと探しましたが・・・
ムリでした。
昔の「あさかぜ」は竹下客車区(当時)の一番南に泊められていたのですが、ここは竹下駅のホームよりも北側にあり撮影は困難。
雨でしたのでレンズは防滴の16-50mmのみ・・・
これが限界です^^;
そして今回の目的地に移動します。
場所は美野島のガード南側、昔は筑肥線が走っていた辺りです。
今はその筑肥線もなくなり、そのそばにあった九州松下電器への引き込み線もなくなり、それによって空いた場所にJR九州の美野島寮が建っています。
その場所に私を含めて計3人がカメラを構えて待ちます。
今晩博多を発つのが17時33分(のはず)ですから、遅くても30分までには現れるでしょう。
すると博多からの回送(ソニック)がやってきたので、練習がてら撮ってみます。
「はやぶさ」の本番では、上記のような構図で撮れるはず・・・でした。
そのソニックが回送下り線に待避してしばらく止まっています。
恐らくそこを上りの回送列車が来るのでしょう・・・
時間もそろそろ30分を回ろうとしてますので、次にここを通る列車が「はやぶさ」でしょう。
しかし実際に現れたのは黒い787系・・・
ええええ?
博多の発時間が変更になったとか?
その787系が博多駅へとゆっくりゆっくり上っていきます・・・
と、その時!!
背後に見覚えのある青い列車が~!!
あああ~っ!!
慌ててシャッターを押しましたが、時すでに遅し・・・
しかも予想に反して本線を走行していったではありませんか!
まぁ本来はこの時間に本線を走行する列車ですから、当然と言えば当然なのですが・・・
それより悔やまれるのが「はやぶさ」の発見が遅れたこと。
これはこのとき回送線を上っていた787系の影に隠れてしまって全く見えなかったんですよ~(上のソニックの画像を見ると被って見えないことが分かると思います)
こういうことに詳しい熱心な鉄道ファンなら「この時間には回送列車がここを通るから、はやぶさは本線を通るのでは・・・」と予想できたのかもしれませんが^^;
後ろで撮っていた人も私と同じ心境だったようで「まさかあっちとは・・・」と方を落としていました。
この方、ペンタックスのFA☆レンズにタオルを巻いて、自身はカッパを着て大きな三脚で気合いが入っていたのですが、上手く撮れたのかな?
結局小雨の降る中私が撮れたのは柱などに串刺しになった機関車や下の画像のようなつまらないものばかり・・・
撃沈っすw
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