ナロネ21・・・
昨日は祖父の四十九日の法要でした。
祖父の家では父が遺品の整理で忙しくしており、膨大な書物や服の始末をどうするか親戚一同悩んでいる様子です・・・
そんな遺品の中には古い写真もあり、戦前の貴重な写真もいくつかありました。

そして写真をあれこれ見ていると「おっ!」っと手が止まります・・・




とある駅のホームに立つ祖父母。
ホームの柱には「・・かた」と駅名の一部が見えます。




やはり博多駅のようです。
しかも低床ホームということは先代の2代目博多駅でしょうか・・・

この写真を父に見せ「これはいつだ?」と問うと、昭和38年(1963年)の春だったと思うとの返事。
祖父が九州地方建設局の局長を務めたあと退官し、家族揃って上京した時とのこと。
まぁいわゆる天下った時ですねw
現在の位置に博多駅が移転したのが昭和38年12月でしたから、先代博多駅最後の年ですか・・・




さらに驚いたのがこのカット・・・
列車は20系で方向幕の一部に「博多」と見えることから間違いなく「あさかぜ」でしょう。
しかもクラス表記が「一等寝台」じゃないですか。
そうか、この当時はまだ等級制だったんですね・・・

で、調べて見ると・・・
かつては“イ”級が一等、“ロ”級が二等、“ハ”級が三等の三等級制でしたが、1960年に“イ”の一等車運用が終了して2等級制に変更されたとのこと。
ですからこの頃の一等はかつての二等ということになります。
そして1969年5月、一等がグリーン(A寝台)に、二等が普通(B寝台)のモノクラス制となって現在に至ります。

車両の窓、そしてその配置を見るとどうやらプルマン式の開放寝台のみのオロネ21(一等寝台車B)みたいですね。
この頃の「あさかぜ」にはロネ(一等寝台)5両とロザ(一等座席車)1両の計6両もの一等車が連結されており、これがいわゆる「殿様あさかぜ」と呼ばれ一番輝いていた時代でしょうか・・・
5両あるロネのうち1両は1人用個室のルーメットを備えたナロネ20が連結されていましたが、さすがに家族全員での乗車でルーメットは無理だったでしょうw
しかし父は一度だけ個室に乗せてもらったことがあるそうで「新聞は持ってきてくれるし、靴も磨いてくれる。そして部屋のボタンを押せば給仕がすっ飛んできたよ」と自慢げに語ったことにちょいとムカつきましたw
私が高校生の頃だったか・・・「一度でいいからA個室に乗りたい」と頼んだ時に「10年早ぇ!」と一蹴したのはどこの誰でしょうか?

さて、この博多駅での写真は私にとって貴重な資料でもあります。
車内のカットがないのが残念ですが、これだけでも十分です・・・
しかしまだ面白いものがあるかもしれないので、今度の休みにいろいろ探してこようと思います。

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