JR九州小倉工場まつり2011・・・
去年は見に行かなかった工場まつりですが、今年は子どもが「電車のお祭りに行きたい」と言い出したので出かけてきました。

2年前に行ったときとほぼ同じ時刻に到着し、ほぼ同じ長さの車列に並び、ほぼ同じ待ち時間で入場しました。
ただ2年前と違ったのは駐車スペース・・・
前回は奥から車を詰めて駐めさせていたため、会場入口までかなりの距離を歩かされました。
しかし今回は入口に近い方から駐車させてくれましたのでかなり楽になりました。

さて、この日は朝から快晴で日が当たると暑いくらい。
来場客の多くは部品狙いでまだかまだかと会場時刻を待っています。
私は部品とかにはあまり興味がありませんし、今回は子どもの為に来ていますので近くにあるモノから回っていこうと思います。




開場して家族連れの多くが走って行くのを見てあとについて行ったのがここ・・・
SLの模型のような物が並んでいます。




模型っていうか・・・確かにサイズは小さいですが、本物のSLです。
このミニSLは毎回大勢が並んで大変なことになるらしいので、みんな「先に乗せておこう」ということでしょう。






いやぁ・・・子どもの喜ぶこと喜ぶこと・・・
こんなんで大喜びするんですから、かわいらしいというか何というか・・・
態度は大人顔負けのくせに、やっぱり子どもなんだな、と。




さぁ、次にやってきたのはここ。
検査などを行う車庫の中に813系やED76の姿が・・・




ブルトレが廃止になってJR九州のED76は全滅となり、残るは貨物所有のカマだけでしょうか・・・
この83号機も貨物のカマですが、全検で夏に工場入りしてこのようにピカピカになっていました。

さて、なぜここにやってきたかというと、車両上げの実演があるとのことで是非子どもに見せてやろうと思ったのです。
車両上げとはその名の通り、検査のために車体と台車を分離する作業ですね。




まずはこのクレーン2台を車体まで移動させます。




クレーンの爪を車体の底に引っかけて持ち上げます。




そして我々ギャラリーの目の前まで移動させます。
このあと場内が開放され、つり上げられた車体や台車を間近に見ることが出来ました。
こうやって宙に浮いた車体を間近で見るなんて初めてでしたので、子どもより私の方が喜んでたりしてw




車体上げを見たあとはソニックの運転席で子どもの記念撮影です、が。
その前に、ソニックを引っ張ってきたと思われる入れ替え用機関車のDD16を発見。
このDD16はDE10をもっと短くしたようなカマで、なかなか目にすることもないですよね。
入れ替え用としてはDE10が一般的で、このDD16はもはや絶滅危惧種。
本線を走行できる車籍ありのカマは2機だとか・・・
この43号機も車籍はすでになく、工場内の入れ替え専用となっているようです。




最後は恒例の落書き列車。
今年は485系ですか・・・
かつて、L特急といえばこの車両ばかりだったのになぁ・・・




私たちがこの場に来たときはすでに落書きだらけで書くスペースがなかなかありません。
子どもはひとりで「書いてくる」と飛び出していきましたが、しっかりとカエルの絵を描いておりましたw

なぜカエル?

まぁいいや。
ということで今年の工場まつりは以上です。

そういえば・・・
小倉工場は今年春に小倉総合車両センターに名称が変更されました。
しかし「工場まつり」って名称は今後も変えることなく続けてもらいたいですね。

| 鉄道::その他 | 23:16 | comments (0) | trackback (0) |
ネガ発掘・・・
1ヶ月以上間が開きましたが、久しぶりのブログ更新となります。
というのも、隣の実家が家を建て替えることになりまして、なんと今週末には取り壊すとかw
ですから実家に置いてある私物を引っ張り出して自宅に持ち帰り、それをさらに整理して片づけるという作業にてんてこ舞いでして・・・
中には私が子供の頃に遊んだおもちゃや、高校時代までの記録物、そして大量の雑誌などなどありとあらゆるものが出てきました。
おもちゃは特に取っておくべきものはなかったので容赦なく「廃棄」ですが、今までの記念になるものは全て持ち帰ってきました。

その中に、すでに捨てられてしまったと思われたネガが出てきました。
24枚撮りのカラーネガがざっと20本ほど。
けど、今まで20本以上は軽く撮った記憶はあるのでこのほかにまだどこかに埋もれている可能性があります。
しかしいくら探してもこれ以上のネガは出てきません。
家族がすでに整理してまとめた荷物の中に紛れ込んでいる可能性もありますので、とりあえず持ち帰ったネガだけでも一つ一つスキャンしてPCに取り込むことにしました。

スキャナーはもうかなり前から使っているキヤノンの8800F。
それでこのネガを48bitカラーの2400dpiで読み込みTIFFで保存しました。

しかし・・・

なんと時間のかかることか・・・

解像度をかなり落としてスキャナの各種設定もできる限りOFFにすればまだマシなのですが、出来れば少しでもいい状態で残したいですから解像度だけ1600dpiに落としてスキャンすることに・・・

ネガは退色・変色が多くて傷やカビもちらほら見られ、あまり状態は良くありません。
それを1枚1枚できる限り補正してスキャンしていくと12コマのネガに小一時間かかりますw

こんなんじゃ、これ全部スキャンし終えるのに何日かかるんだよ・・・
しかもこれ以外に親父がマミヤのC330で撮ったブローニーのネガもあるっていうのに・・・

さらに、スキャナも動作が不安定でして、win7の64bitという環境のせいかどうかは分かりませんが、ある程度まとまった数を続けてスキャンするとソフトがフリーズしちゃうんです。
ソフトを全て入れ直しても改善しないため、面倒ですがその状態で使い続けることに・・・
たった6コマ程度づつスキャンして保存・・・ってのを繰り返さないと固まっちゃうのでイライラしっぱなしw

しかしそのガマンも長くは続きません。
8800Fの後継機である9000Fはスキャン速度がかなり速くなっているとの口コミを信じて9000Fに買い換えてやりましたw
去年も何度か9000Fに買い換えてみようかと思ったことはありましたが、今回たったこれだけの為に買い換えるとかw
でも実際に使ってみると圧倒的に9000Fのほうが速かったんで、これは大正解でした^^

さて、作業効率が上がって俄然やる気が出てきました^^
しかし暇そうに見えるこの私も意外と忙しくしておりまして、日にそれほど長時間は作業出来ません。
また10月に入ってからは子供の運動会があり、そこで撮影した画像をプリントに出して各家庭に配ったり・・・
その運動会の写真も1日で1000枚以上撮ってしまったため、現像作業にかなり時間がかかってスキャン作業の中断が長引いてしまいました。

そしてようやく先週から本腰を入れて作業開始。
スキャンが速くなったので解像度は2400dpiに戻しました。

ただやはりネガの状態があまり良くないため、スキャンまでの作業に手間取ります。
ネガによっては著しく退色や変色が見られ、また中にはスキャンすると黄色の斑点が無数に現れたものもあります。
サクラカラー(SR、SR-V)やコニカカラー(GX)は比較的被害は少なく、若干の変色はあっても斑点が出ているものはありませんでした。
しかしフジカラーのHR100はほぼ全て変色+斑点とさんざんな結果に・・・
この黄色い斑点の正体と原因は私には分かりません・・・
そしてこれをあとで一つ一つ消していく作業も私には出来ません、ってかこんな作業する気になりませんw
傷やホコリ程度はスキャン時にある程度消してくれますし、あとでササッと消すことも出来ます。
しかしあの斑点は勘弁して下さいw

そんなこんなで35mm版ネガのスキャンはほぼ終わりました。
あとはブローニー(6x6)の一部と祖父の残した数百枚に及ぶスライド(マウントされたリバーサルフィルム)を残すのみ。
ちなみに、自分が子供の頃に撮った写真はほぼ終わったのですが、やはりいくつか足りませんでした。
明らかにネガが数本分行方不明となっていますが、はたしてこの先見つかるのか・・・


さて、これから今回の作業でスキャンした画像の中からいくつか載せてみようと思います。
まずは私の一番好きだった「あさかぜ」から・・・




竹下客車区を出て博多駅に回送される「あさかぜ4号」です。
これから東京へ向けての長い旅が始まります。
子供の頃は時々この辺のブロック塀に腰掛けてひたすら列車を眺めていましたw
この場所からすぐ博多寄りの踏切は当時まだ踏切警手がいて白い旗を振っていた記憶があります。
今は高いフェンスが張られて入ることは出来ません・・・






博多駅4番ホームで出発を待つ「あさかぜ4号」です。
ここ4番ホームは当時の博多駅で長編成の列車も余裕を持って停車できる長いホームで、博多駅でブルトレといえば4番ホームでしたね。
それでも機関車・電源荷物車を入れて15両もしくは16両もあるこの「あさかぜ4号」はこのホーム目一杯使っての停車でした。




東京駅に到着した金帯「あさかぜ4号」です。
国鉄民営化を目前にしてグレードアップを施され、車体のラインも2本のステンレス帯から3本の金帯に変わりました。
外見以外にも通路にはカーペットが敷かれ、カーテンや座席の色も紺色から暖色系のオレンジになり、食堂車も豪華になってガキが一人で定食食べるのがちょいと恥ずかしいくらいでしたw




あさかぜ4号を牽いてきた機関車が一旦品川寄りに待避します。
この頃は新幹線の工事が進んでもう11番線(機回し線)がありませんね・・・
機回し線のあった時代は機関車は客車から解放されて機回し線を通って反対側に連結していました。
しかし機回し線がなくなったこの当時の回送方法は・・・

1:一番に到着したブルトレを牽いて品川まで回送する機関車はあらかじめ東京駅品川寄りに待機しておく。
2:その後到着したブルトレの機関車と客車を切り離し、待機していた機関車が客車を牽いて品川へ。
3:客車がいなくなったあとそのブルトレを牽いてきた機関車がそのまま品川寄りに移動して待避。

の繰り返しだったと思います。
ですから、この当時東京駅から回送される(または東京駅に回送される)ブルトレのヘッドマークは客車と一致していませんでした。
その後、最後の九州ブルトレである「はやぶさ・富士」の回送は隣の9番線を使っての機回しでしたね。
全盛期は9番線にも10番線にもブルトレが入線して賑やかだったのですが・・・


さぁ、次回も何か載せられたら載せてみますが、色とかコントラストとかあれこれ変なのは勘弁して下さいね。
これでもスキャン画像とは比べものにならないくらいきれいになったんですからw
出来ればもっと調整したいところがたくさんあるのですが、これはホント時間をかけてやっていきたいと思います^^

| 鉄道::その他 | 00:42 | comments (0) | trackback (0) |
ちょいとレアかな・・・
先日実家から発掘したネガの中から今日も数枚ピックアップしてみます。
今まで乗ってきたブルトレでは「あさかぜ」が圧倒的に多いので今回も「あさかぜ」です。




とある年の年末に乗ったときの「あさかぜ4号」を門司駅で写した一枚・・・
博多から牽いてきたED76の93号機を開放して関門間を受け持つEF81にバトンタッチする場面。
まぁこれ自体はルーティンの作業で何ら珍しくもない光景ですが、よく見るとなんか変・・・

いったい何が変なのか?

これは私もスキャン後に気づいたのですが、ヘッドマークが微妙に違うんです・・・
このあさかぜのヘッドマークは形こそ一般的な九州内のお椀型ヘッドマークですが、なんと“風”を表している線が1本多いんです。
この線は本来「あさかぜ」という文字を挟んで上下2本ずつあるのですが、このヘッドマークには下側の線が3本あるんですね。

今まで何度も乗って何度も写真を撮ってきた「あさかぜ」ですが、このタイプのヘッドマークはこの時撮った1枚だけです。
いったいこのヘッドマークはなんなんでしょうか・・・
誰か知っている人がいたら教えて下さいね。




さて、そのED76を切り離すと現れたのは金帯のオハネフ25。
かなりきれいな状態なので恐らく改造後間もない時期だと思います。
この画像のように一部変色しているのフィルムが多数あったのが残念です・・・




そして連結されたEF81の53号機ですが、これはいつもの見慣れたヘッドマークですね。

ところが今度は何かが変・・・
このEF81って思いっきり赤2号ですよね?
この時のEF81はローズピンク(赤13号)じゃなかったのか?
ということでちょいと調べてみました・・・

関門間を担当していたEF30の老朽化に伴い、昭和61年から62年までに余所にあった14両のEF81基本番台が関門用として重連運転に対応すべく改造され、それが401~414号機となりました。
しかし門司や大分に転属されたあとに改造されたため、ほんの僅かな期間は改造前の車体で運用されていたようです。
しかも車体色は交流機関車のED76と同じ赤2号に塗られていましたが、改造後に順次交直両用機の赤13号に塗り替えられていったようです。

そしてこの53号機ですが、昭和61年11月に大分に転属後、翌62年2月に改造されて412号機となりました。
ということは、この写真は昭和61年の年末に撮ったということです。
つまりこのEF81は九州にやってきてすぐの改造前の姿、そしてこの博多「あさかぜ」はグレードアップ直後というわけです。

17時とはいえすでに薄暗くとても寒かった年の瀬の博多駅・・・
あの時は乗車する「あさかぜ4号」をホーム後方で出迎えていました。
機関車の轟音のあとにタッタン・・・タッタン・・・と静かに入線してくるあさかぜ4号。
キ~ッ・・・キッキ~ッと盛大にブレーキをならして停車後に乗車。
そして車内のドアを開けて初めてグレードアップされたことに気づいて驚いたを覚えています^^
検札の歳に車掌からも「できたてホヤホヤですよ」みたいな事をいわれた記憶がありますが、なんかとても嬉しかったですね。
そして翌年の国鉄民営化直後に法事で上京した際には、その「あさかぜ」もデュエットを連結するなどしてさらなるグレードアップがなされていました。

しかしこのグレードアップも乗車率向上には繋がりませんでした。
結局、この金帯グレードアップ化の試みは後の「北斗星」に生かされる形となりましたが、九州ブルトレは衰退の一途を辿ることとなったわけです・・・

| 鉄道::その他 | 23:48 | comments (0) | trackback (0) |
もういっちょ「あさかぜ」を・・・
先日変わったヘッドマークを付けた「あさかぜ」をご紹介しましたが、その際「これ一枚・・・」と書きましたがもう一枚ありました。
実はこのフィルムも含めていくつかのフィルムは保存状態がかなり悪く、退色・変色、シミ、傷のオンパレードでした。
ですから一応補正をかけてスキャンしてみたものの、その後の修正がめんどくさくて放置していたのです。
そのフィルムの中に一コマだけあのヘッドマークを付けた姿を見つけたので、他のコマも含めてなんとか見られる状態まで修正して載せてみます。




ED76の1019号機に掲げられたヘッドマークは紛れもなくあの「下三本」のヘッドマークですね。
東京からやってきた「あさかぜ1号」は、博多駅で乗客を降ろしたあと小運転線を通って寝床である竹下客車区へと帰っていきます。
博多駅からはしばらく下り本線側を走行し、国道385号線美野島アンダーパスのところで立体交差して本線の西側に出てきます。
画像の手前側の線路はかつての筑肥線の線路で、その線路とはシーサスクロッシングで合流&竹下と美野島に分岐されていました。




この画像は先ほどの南側、ちょうど筑肥線との分岐点付近です。
かつて筑肥線は矢印方向に九州松下電器の横を大きく右にカーブして伸びており、国道385号線の跨線橋あたりに筑前箕島駅がありました。
現在のこの場所はJR九州の美野島寮とその駐車場があり小運転線も複線となっていますが、当時はこんな感じで結構開けて見通しもよかったんですよね。
博多駅から竹下に帰る列車を見るのにはもってこいの場所でした^^




こちらは竹下客車区を出て博多駅に回送される「あさかぜ4号」です。
このように上りの本線だけちょいと高い位置を走っています。
こうやって夕暮れ時に下から見上げる「あさかぜ」は、長旅を前にした緊張感や使命感みたいなものを漂わせて、ゆっくりゆっくりと博多駅に向かっていきました・・・

| 鉄道::その他 | 00:29 | comments (0) | trackback (0) |

  
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