2011,08,21, Sunday
16日夜、私の祖父が亡くなりました。
実家の母が夜中に車で出かけていったので何事かと思ったのですが、まさか祖父が亡くなったとは・・・
死因は病院でもハッキリとは分からないそうで、つまりは「老衰」ということだそうです。
この日もいつもと同じように過ごしていたのですが、寝床についたあと様子がおかしいことに父が気づいて病院に運んだが、そのときすでに心肺停止状態だったとか。
享年100(満99歳)での大往生で、まさに天寿を全うしたと言えるでしょう。
昭和10年内務省に技官として入省し、地建の局長を最後に退官後も30年以上仕事に携わってきた祖父の人生はさぞ充実したものだったと思います。
戦前・戦中・戦後と現場を守り、プロジェクトを進め、21年間も一つの部署で指揮を執るなんて今では考えられません。
その後、80歳を過ぎても海外に足を運んでいろいろな施設を視察したりと、仕事に対する彼の姿勢と行動力には家族全員が驚いたものです。
明治の最終年に生まれ、小さい頃は体が弱くて小学校を1年間も休学するなど大変だったそうです。
しかしその後は体力も回復し、大正・昭和・平成と時代を駆け抜けてきました。
様々な記録を残し、人々の記憶に残り、そして地図にその功績を残してきた彼の人生は、祖父本人や家族のみならず日本の誇りでもあると言えるでしょう。
安らかにお眠り下さい・・・
実家の母が夜中に車で出かけていったので何事かと思ったのですが、まさか祖父が亡くなったとは・・・
死因は病院でもハッキリとは分からないそうで、つまりは「老衰」ということだそうです。
この日もいつもと同じように過ごしていたのですが、寝床についたあと様子がおかしいことに父が気づいて病院に運んだが、そのときすでに心肺停止状態だったとか。
享年100(満99歳)での大往生で、まさに天寿を全うしたと言えるでしょう。
昭和10年内務省に技官として入省し、地建の局長を最後に退官後も30年以上仕事に携わってきた祖父の人生はさぞ充実したものだったと思います。
戦前・戦中・戦後と現場を守り、プロジェクトを進め、21年間も一つの部署で指揮を執るなんて今では考えられません。
その後、80歳を過ぎても海外に足を運んでいろいろな施設を視察したりと、仕事に対する彼の姿勢と行動力には家族全員が驚いたものです。
明治の最終年に生まれ、小さい頃は体が弱くて小学校を1年間も休学するなど大変だったそうです。
しかしその後は体力も回復し、大正・昭和・平成と時代を駆け抜けてきました。
様々な記録を残し、人々の記憶に残り、そして地図にその功績を残してきた彼の人生は、祖父本人や家族のみならず日本の誇りでもあると言えるでしょう。
安らかにお眠り下さい・・・
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