2008,02,13, Wednesday
今日はちょいと鉄分のある話を・・・
私が子供の頃大好きだったブルートレイン。
今も機会があれば乗りたいと思っているのですが、学生時代の帰省時に一度「はやぶさ」に乗ったのが最後になりますかね。
子供の頃、毎年年末には「あさかぜ」で東京の祖父母の家まで行っていましたが、あの頃はまさにあこがれの列車でした。
そのブルートレインの一つ「なは・あかつき」号が来月14日の運転をもって廃止されることになります。
最近は格安の航空運賃や、移動時間の早い新幹線などに押されて利用客が大幅に減り「空気を運んでいる」と揶揄されるまでになりました。
当時(ここでは私の小中学生時代を基準にします)、東京と九州を結ぶブルトレは「さくら」「みずほ」「はやぶさ」「富士」「あさかぜ」がありましたが、現在は「富士」と「はやぶさ」の併結運転となる「はやぶさ・富士」号のみとなりました。
また、関西と九州を結ぶブルトレは、当時「あかつき」「明星」「なは」「彗星」がありましたが、現在は「なは」と「あかつき」の併結運転となる「なは・あかつき」号のみです。
今回廃止になるこの「なは・あかつき」ですが、私はそれぞれ単独運転時に乗ったことがあります。
といっても「なは」は当時583系の電車寝台で、3段式のB寝台は狭くて「二度と乗りたくない」と思った記憶があります。
「あかつき」はその後「明星」と併結され「明星・あかつき」として運転されていましたね。
その列車も40数年の歴史に終止符を打つことになりますが、それまでに何とかしてもう一度乗りたいと思っています。
さて、その懐かしさに誘われて古いアルバムを引っ張り出してみたところ、数枚の写真が見つかりました。
以下その一部とともに当時を振り返ってみたいと思います。
元祖ブルトレの「あさかぜ」です。
この列車は説明すると長くなりますが、いわばブルートレインの元祖といわれる列車で、1,4号が博多~東京間、2,3号は下関~東京間の運転でした。
私が一番好きだったブルトレももちろんこの「あさかぜ」で、毎年東京まで乗っていたのも「あさかぜ1,4号」です。
この写真を撮った場所は竹下客車区(当時は気動車区もここにあったはず・・・で、現在は博多運転区という名称になっています)で、時々コンパクトカメラをもって撮らせてもらってました。
このとき「あさかぜ」を博多駅へ回送する直前で、ヘッドマークを付ける瞬間を撮らせてくれたのを今でも覚えてます。
ちなみに隣のED76-1000番台が引っ張る編成は、20系の臨時「あさかぜ」です(車両は写ってませんが^^;)
この20系こそ走るホテルと騒がれた元祖ブルトレの車両で、この写真を撮った翌年に臨時「あさかぜ」に乗ることが出来ました。
「あさかぜ」には上り下りを合わせて10回くらい乗りましたかね・・・
途中車両がグレードアップされたのですが、24系のあのステンレスの帯がゴールドになって、通路も絨毯が敷かれて食堂車もリニューアルされ・・・
乗客減少に歯止めをかけようとしたこのグレードアップも効果はあまりなく、1994年に「あさかぜ1,4号」は廃止され、残った下関編成も2005年に廃止となりました。
ちなみに最終列車の指定券は、販売開始数十秒で完売したとか・・・w
こちらは「はやぶさ」です。
当時はまだ東京~西鹿児島(現在の鹿児島中央)を結んでいましたが、現在は東京~熊本間の運転となり、東京~門司間は「富士」との併結運転です。
この列車もある年のお盆に乗ったことがあります。
「あさかぜ」の切符が取れず、仕方なく「はやぶさ」に乗ったのを覚えてます^^;
この「はやぶさ」は当時の日本一の長距離定期列車です。
今度は「富士」です。
上の「はやぶさ」と同じ東京~西鹿児島(日豊線経由)だったのですが、このときはすでに宮崎まで短縮されていました(現在は大分)。
短縮前までは日本一の長距離定期列車として長年君臨していました。
「はやぶさ」と区間は同じなのですが、日豊線経由のため「はやぶさ」より距離が長かったんです。
毎日24時間かけて結んだこの列車は、下り列車と上り列車が2度すれ違うという珍しい列車(「はやぶさ」もですが)でもありましたね。(「富士」は西鹿児島発が午前中でしたし^^;)
写真は朝の東京駅10番線です。
このときは「あさかぜ4号」で到着後、続々と入線してくるブルートレインたちを撮り続けていました。
東北・上越新幹線の工事の時期でしょうか?
かろうじて11番線(いわゆるホームのない機回し線)は残っていましたので、各列車の機回し時はすごい人でしたね。
横に見えている0系新幹線が懐かしいですね~
こちらは宮崎駅で回送される「富士」です。
これは宮崎へ旅行に行ったときにたまたま撮ったもので、私は今まで一度も「富士」に乗ったことがありません。
「はやぶさ・富士」も来年廃止との噂ですので、その前に是非乗っておきたい列車ですね。
こちらは急行の「日南」です。
宮崎に旅行に行ったときに乗ったのがこの列車。
日豊線の門司港~西鹿児島を結ぶ夜行急行列車で、この時期20系の寝台車を2両ほど連結してました。
このナハネフ22は片方が展望室となっています。
ちなみに同時期に鹿児島旅行をしたとき、「日南」とほぼ同じ編成だった鹿児島本線の門司港~西鹿児島を結ぶ「かいもん」で西鹿児島へ・・・
そして帰りは「日南」で・・・と、ハタから見ればアホみたいなことをしたりもしましたね^^;
最後は「あかつき」です。
盆暮れは毎回「あさかぜ」での帰省が定着する前までは、時々父親が妙な行動を起こしました。
このときは「あかつき」で新大阪まで行き、新幹線に乗り換えて東京へ・・・
それ以外にも「なは」「明星・あかつき」と3,4回ありましたね。
「いろんな列車に乗せてやりたかった」という親心なのかもしれません(もしくは自分が乗りたかっただけ?)が、母親はかなり不満顔でしたね~
だって早朝に新大阪について、寝ぼけ眼を擦り擦り新幹線に乗り換えなきゃならないんですから・・・
まぁ父親に切符を任せるとこんな感じになりましたので、これ以降全て一人で切符を買って好きな列車に乗るようになりました^^;
さぁ、この「あかつき」ですが・・・
最終列車の切符は明日の10時に発売開始です。
間違いなく取れないとは思いますが、明日窓口に行ってみます。
取れなきゃ取れないで、それまでに乗ろうと思いますけどね^^
後日「あかつき」乗車記でも書ければいいなと思っていますが、どうなるか・・・
私が子供の頃大好きだったブルートレイン。
今も機会があれば乗りたいと思っているのですが、学生時代の帰省時に一度「はやぶさ」に乗ったのが最後になりますかね。
子供の頃、毎年年末には「あさかぜ」で東京の祖父母の家まで行っていましたが、あの頃はまさにあこがれの列車でした。
そのブルートレインの一つ「なは・あかつき」号が来月14日の運転をもって廃止されることになります。
最近は格安の航空運賃や、移動時間の早い新幹線などに押されて利用客が大幅に減り「空気を運んでいる」と揶揄されるまでになりました。
当時(ここでは私の小中学生時代を基準にします)、東京と九州を結ぶブルトレは「さくら」「みずほ」「はやぶさ」「富士」「あさかぜ」がありましたが、現在は「富士」と「はやぶさ」の併結運転となる「はやぶさ・富士」号のみとなりました。
また、関西と九州を結ぶブルトレは、当時「あかつき」「明星」「なは」「彗星」がありましたが、現在は「なは」と「あかつき」の併結運転となる「なは・あかつき」号のみです。
今回廃止になるこの「なは・あかつき」ですが、私はそれぞれ単独運転時に乗ったことがあります。
といっても「なは」は当時583系の電車寝台で、3段式のB寝台は狭くて「二度と乗りたくない」と思った記憶があります。
「あかつき」はその後「明星」と併結され「明星・あかつき」として運転されていましたね。
その列車も40数年の歴史に終止符を打つことになりますが、それまでに何とかしてもう一度乗りたいと思っています。
さて、その懐かしさに誘われて古いアルバムを引っ張り出してみたところ、数枚の写真が見つかりました。
以下その一部とともに当時を振り返ってみたいと思います。
元祖ブルトレの「あさかぜ」です。
この列車は説明すると長くなりますが、いわばブルートレインの元祖といわれる列車で、1,4号が博多~東京間、2,3号は下関~東京間の運転でした。
私が一番好きだったブルトレももちろんこの「あさかぜ」で、毎年東京まで乗っていたのも「あさかぜ1,4号」です。
この写真を撮った場所は竹下客車区(当時は気動車区もここにあったはず・・・で、現在は博多運転区という名称になっています)で、時々コンパクトカメラをもって撮らせてもらってました。
このとき「あさかぜ」を博多駅へ回送する直前で、ヘッドマークを付ける瞬間を撮らせてくれたのを今でも覚えてます。
ちなみに隣のED76-1000番台が引っ張る編成は、20系の臨時「あさかぜ」です(車両は写ってませんが^^;)
この20系こそ走るホテルと騒がれた元祖ブルトレの車両で、この写真を撮った翌年に臨時「あさかぜ」に乗ることが出来ました。
「あさかぜ」には上り下りを合わせて10回くらい乗りましたかね・・・
途中車両がグレードアップされたのですが、24系のあのステンレスの帯がゴールドになって、通路も絨毯が敷かれて食堂車もリニューアルされ・・・
乗客減少に歯止めをかけようとしたこのグレードアップも効果はあまりなく、1994年に「あさかぜ1,4号」は廃止され、残った下関編成も2005年に廃止となりました。
ちなみに最終列車の指定券は、販売開始数十秒で完売したとか・・・w
こちらは「はやぶさ」です。
当時はまだ東京~西鹿児島(現在の鹿児島中央)を結んでいましたが、現在は東京~熊本間の運転となり、東京~門司間は「富士」との併結運転です。
この列車もある年のお盆に乗ったことがあります。
「あさかぜ」の切符が取れず、仕方なく「はやぶさ」に乗ったのを覚えてます^^;
この「はやぶさ」は当時の日本一の長距離定期列車です。
今度は「富士」です。
上の「はやぶさ」と同じ東京~西鹿児島(日豊線経由)だったのですが、このときはすでに宮崎まで短縮されていました(現在は大分)。
短縮前までは日本一の長距離定期列車として長年君臨していました。
「はやぶさ」と区間は同じなのですが、日豊線経由のため「はやぶさ」より距離が長かったんです。
毎日24時間かけて結んだこの列車は、下り列車と上り列車が2度すれ違うという珍しい列車(「はやぶさ」もですが)でもありましたね。(「富士」は西鹿児島発が午前中でしたし^^;)
写真は朝の東京駅10番線です。
このときは「あさかぜ4号」で到着後、続々と入線してくるブルートレインたちを撮り続けていました。
東北・上越新幹線の工事の時期でしょうか?
かろうじて11番線(いわゆるホームのない機回し線)は残っていましたので、各列車の機回し時はすごい人でしたね。
横に見えている0系新幹線が懐かしいですね~
こちらは宮崎駅で回送される「富士」です。
これは宮崎へ旅行に行ったときにたまたま撮ったもので、私は今まで一度も「富士」に乗ったことがありません。
「はやぶさ・富士」も来年廃止との噂ですので、その前に是非乗っておきたい列車ですね。
こちらは急行の「日南」です。
宮崎に旅行に行ったときに乗ったのがこの列車。
日豊線の門司港~西鹿児島を結ぶ夜行急行列車で、この時期20系の寝台車を2両ほど連結してました。
このナハネフ22は片方が展望室となっています。
ちなみに同時期に鹿児島旅行をしたとき、「日南」とほぼ同じ編成だった鹿児島本線の門司港~西鹿児島を結ぶ「かいもん」で西鹿児島へ・・・
そして帰りは「日南」で・・・と、ハタから見ればアホみたいなことをしたりもしましたね^^;
最後は「あかつき」です。
盆暮れは毎回「あさかぜ」での帰省が定着する前までは、時々父親が妙な行動を起こしました。
このときは「あかつき」で新大阪まで行き、新幹線に乗り換えて東京へ・・・
それ以外にも「なは」「明星・あかつき」と3,4回ありましたね。
「いろんな列車に乗せてやりたかった」という親心なのかもしれません(もしくは自分が乗りたかっただけ?)が、母親はかなり不満顔でしたね~
だって早朝に新大阪について、寝ぼけ眼を擦り擦り新幹線に乗り換えなきゃならないんですから・・・
まぁ父親に切符を任せるとこんな感じになりましたので、これ以降全て一人で切符を買って好きな列車に乗るようになりました^^;
さぁ、この「あかつき」ですが・・・
最終列車の切符は明日の10時に発売開始です。
間違いなく取れないとは思いますが、明日窓口に行ってみます。
取れなきゃ取れないで、それまでに乗ろうと思いますけどね^^
後日「あかつき」乗車記でも書ければいいなと思っていますが、どうなるか・・・
2008,05,02, Friday
ハウステンボスから帰ってきた翌朝、見上げれば抜けるような青空が広がっていました。
この日は一日家でゆっくりするつもりだったのですが、こんな時に家に籠もっているのはなんか損した気分になりますw
ということで前から一度行ってみたかった門司港へ行ってきました。
高速に乗って1時間ほどで到着。
しかし駐車場入り口には長い車列が・・・
やっと駐車して外に出ると辺りは綺麗に整備されてます。
ここは「門司港レトロ地区」として開発されており、展望室や商業施設などの近代的な建物がレトロな建物に混じってちょっと不思議な雰囲気です。
あちこちに出店が軒を連ね、観光客で賑わっていました。
今回はある場所へ行くのが目的ですので、その場所まで歩いてみます。
まず目に飛び込んできたのは旧門司税関です。
なんでもここでジュディーオングのサイン会があるとかで大勢の人が並んでいます。
カメラなんて向ける気になりません・・・
その向かいにあるのがこれ・・・
国際友好記念図書館です。
なかなか歴史ある建物・・・と思いきや、平成6年に建てられた“複製”です。
背後にそびえ立って邪魔している黒い建物は「レトロハイマート」という高層マンションで、その31階に展望室があります。
その後海峡プラザなどの商業施設などをみて門司港駅を目指しますが、そろそろ腹が減ってきました^^;
ちょうど「伽哩本舗」があったので焼きカレーを食べて腹ごしらえします。
ここの伽哩本舗で食べなくても博多で食べられるんですけどね・・・
さて、門司港駅の登場です。
この駅は30年近く前、親戚の家に来たとき以来です。
あれからその姿は何ら変わっていない・・・はずw
これは「帰り水」と言う名前が付いていました。
この駅が建てられたのが1914年で、この水道はその当時からあるそうです。
門司港駅は九州の玄関口として賑わっていましたが、この水道の水が外地から引き上げてきた人などを「お帰りなさい」と癒してくれたのでしょう。
門司港駅の横に立っているこの古いビルは旧三井物産門司支店です。
私には「門鉄ビル」のほうがしっくり来ますね^^;
これは1937年に三井物産が建てました。
戦後の財閥解体により国鉄の手に渡り、国鉄九州総局、門司鉄道管理局がここに置かれます。
その後国鉄民営化で発足したJR九州の本社も2001年に博多駅中央街に移転するまでここにありました。
現在は使用されておらず中にも入ることができません。
そのお向かいに立っているお洒落な建物は・・・
1921年に建てられた旧門司三井倶楽部です。
これは三井物産門司支店の社交倶楽部で、その後に門鉄倶楽部として利用されていた建物です。
1990年に現在の場所に移築されました。
さて、いよいよ目的地に到着です・・・
そう、九州鉄道記念館です^^
規模は小さいのですが、前から一度行ってみたかったんですよね。
入るとすぐにC591やボンネット型の481系、そして電車寝台の581系などが展示されています。
その横のスロープを上がると本館の登場。
この建物は九州鉄道本社として明治24年に建てられたもの。
九州鉄道といえば九州初の鉄道会社。
いわば現在のJR九州の元祖のようなもんです。
その後明治40年に鉄道国有法により買収され国有化。
昭和24年、先ほど登場した門鉄ビルに移るまで鉄道管理局がここに置かれていました。
昭和62年の国鉄民営化後は国鉄清算事業団の九州支所となり、今から5年前に記念館として生まれ変わりました。
この建物、現在の入り口は当時の裏口にあたります。
国道3号線に面した当時の玄関は現在使われていません。
さて、この記念館の中はというと・・・
古い資料の展示、運転シミュレータ、明治時代の車両を再現したり大きな鉄道模型、そして売店や喫茶店まであります。
さぁ、これで私の欲求は満たされましたので帰りましょう。
しかしこのまますんなり帰ってはかみさんに申し訳ありません。
罪滅ぼしにと買い物のお供をさせていただきましたw
この日のラストショットはこれ・・・
駐車場を囲んでいる壁なのですが、実はこれレトロハイマートの建っている場所にあった門司港最古の赤煉瓦倉庫の壁なんです。
北九州市が門司港レトロ事業を始めた頃、地元の業者が転売目的でこの倉庫を買収したのですが折り合いが付きませんでした。
すると業者は反対を押し切ってこの貴重な建物を取り壊してしまったんですね・・・
その時壁だけは保存されて現在は駐車場を囲んでいるわけです。
これはいわば門司港の“嘆きの壁”ですね。
この日は一日家でゆっくりするつもりだったのですが、こんな時に家に籠もっているのはなんか損した気分になりますw
ということで前から一度行ってみたかった門司港へ行ってきました。
高速に乗って1時間ほどで到着。
しかし駐車場入り口には長い車列が・・・
やっと駐車して外に出ると辺りは綺麗に整備されてます。
ここは「門司港レトロ地区」として開発されており、展望室や商業施設などの近代的な建物がレトロな建物に混じってちょっと不思議な雰囲気です。
あちこちに出店が軒を連ね、観光客で賑わっていました。
今回はある場所へ行くのが目的ですので、その場所まで歩いてみます。
まず目に飛び込んできたのは旧門司税関です。
なんでもここでジュディーオングのサイン会があるとかで大勢の人が並んでいます。
カメラなんて向ける気になりません・・・
その向かいにあるのがこれ・・・
国際友好記念図書館です。
なかなか歴史ある建物・・・と思いきや、平成6年に建てられた“複製”です。
背後にそびえ立って邪魔している黒い建物は「レトロハイマート」という高層マンションで、その31階に展望室があります。
その後海峡プラザなどの商業施設などをみて門司港駅を目指しますが、そろそろ腹が減ってきました^^;
ちょうど「伽哩本舗」があったので焼きカレーを食べて腹ごしらえします。
ここの伽哩本舗で食べなくても博多で食べられるんですけどね・・・
さて、門司港駅の登場です。
この駅は30年近く前、親戚の家に来たとき以来です。
あれからその姿は何ら変わっていない・・・はずw
これは「帰り水」と言う名前が付いていました。
この駅が建てられたのが1914年で、この水道はその当時からあるそうです。
門司港駅は九州の玄関口として賑わっていましたが、この水道の水が外地から引き上げてきた人などを「お帰りなさい」と癒してくれたのでしょう。
門司港駅の横に立っているこの古いビルは旧三井物産門司支店です。
私には「門鉄ビル」のほうがしっくり来ますね^^;
これは1937年に三井物産が建てました。
戦後の財閥解体により国鉄の手に渡り、国鉄九州総局、門司鉄道管理局がここに置かれます。
その後国鉄民営化で発足したJR九州の本社も2001年に博多駅中央街に移転するまでここにありました。
現在は使用されておらず中にも入ることができません。
そのお向かいに立っているお洒落な建物は・・・
1921年に建てられた旧門司三井倶楽部です。
これは三井物産門司支店の社交倶楽部で、その後に門鉄倶楽部として利用されていた建物です。
1990年に現在の場所に移築されました。
さて、いよいよ目的地に到着です・・・
そう、九州鉄道記念館です^^
規模は小さいのですが、前から一度行ってみたかったんですよね。
入るとすぐにC591やボンネット型の481系、そして電車寝台の581系などが展示されています。
その横のスロープを上がると本館の登場。
この建物は九州鉄道本社として明治24年に建てられたもの。
九州鉄道といえば九州初の鉄道会社。
いわば現在のJR九州の元祖のようなもんです。
その後明治40年に鉄道国有法により買収され国有化。
昭和24年、先ほど登場した門鉄ビルに移るまで鉄道管理局がここに置かれていました。
昭和62年の国鉄民営化後は国鉄清算事業団の九州支所となり、今から5年前に記念館として生まれ変わりました。
この建物、現在の入り口は当時の裏口にあたります。
国道3号線に面した当時の玄関は現在使われていません。
さて、この記念館の中はというと・・・
古い資料の展示、運転シミュレータ、明治時代の車両を再現したり大きな鉄道模型、そして売店や喫茶店まであります。
さぁ、これで私の欲求は満たされましたので帰りましょう。
しかしこのまますんなり帰ってはかみさんに申し訳ありません。
罪滅ぼしにと買い物のお供をさせていただきましたw
この日のラストショットはこれ・・・
駐車場を囲んでいる壁なのですが、実はこれレトロハイマートの建っている場所にあった門司港最古の赤煉瓦倉庫の壁なんです。
北九州市が門司港レトロ事業を始めた頃、地元の業者が転売目的でこの倉庫を買収したのですが折り合いが付きませんでした。
すると業者は反対を押し切ってこの貴重な建物を取り壊してしまったんですね・・・
その時壁だけは保存されて現在は駐車場を囲んでいるわけです。
これはいわば門司港の“嘆きの壁”ですね。
2008,06,15, Sunday
今日は朝から雨、雨、雨、、、
こんな雨の中“あるもの”を撮りに行ってきました。
まぁ撮りに行くと行っても単なる「記録」として収めたくてね・・・
東京~熊本間を走る寝台特急「はやぶさ」です。
場所は竹下の博多運転区、旅支度を調え出発の時を静かに待っていました。
ん?
はやぶさなら熊本じゃねぇの?
まぁ本来ならこの竹下にいるはずがないのですが、実は昨晩の下り「富士・はやぶさ」が本州内で起きた複数の人身事故により大幅に遅延。
今朝は2時間半遅れで九州入りして博多で運転打ち切り(門司で分かれた「富士」は終着大分まで行ったそうです)となった・・・というニュースを12時頃知りました。
昔、幼少の頃は小運転線(回送線)で竹下客車区(現 博多運転区)に回送される「あさかぜ」を何度も撮りに出かけましたが、ここを通るブルトレはその「博多あさかぜ」廃止後は今回のような時にしかお目にかかれません。
ですからそのニュースを知って速攻で撮りに出かけようと思ったのですが、ちょうどその頃雨が強く降っていまして・・・
とてもじゃありませんが福岡市の外れから出かける気にはなれませんでしたw
しかしどうしても諦めきれません。
どうするか・・・
とその時かみさんが「夕方スーパーまで連れて行って」と・・・
お!
「いいよ~、その代わりちょっと寄り道させてね」
と言うことで竹下~博多間で上り「はやぶさ」を撮りに行くことにしたのです。
で、まずはどこにいるのか確認のため竹下の博多運転区周辺を車で回ります。
そこで最初の画像にある「はやぶさ」を発見。
もっと近くで、しかも前から撮れるところはないかと探しましたが・・・
ムリでした。
昔の「あさかぜ」は竹下客車区(当時)の一番南に泊められていたのですが、ここは竹下駅のホームよりも北側にあり撮影は困難。
雨でしたのでレンズは防滴の16-50mmのみ・・・
これが限界です^^;
そして今回の目的地に移動します。
場所は美野島のガード南側、昔は筑肥線が走っていた辺りです。
今はその筑肥線もなくなり、そのそばにあった九州松下電器への引き込み線もなくなり、それによって空いた場所にJR九州の美野島寮が建っています。
その場所に私を含めて計3人がカメラを構えて待ちます。
今晩博多を発つのが17時33分(のはず)ですから、遅くても30分までには現れるでしょう。
すると博多からの回送(ソニック)がやってきたので、練習がてら撮ってみます。
「はやぶさ」の本番では、上記のような構図で撮れるはず・・・でした。
そのソニックが回送下り線に待避してしばらく止まっています。
恐らくそこを上りの回送列車が来るのでしょう・・・
時間もそろそろ30分を回ろうとしてますので、次にここを通る列車が「はやぶさ」でしょう。
しかし実際に現れたのは黒い787系・・・
ええええ?
博多の発時間が変更になったとか?
その787系が博多駅へとゆっくりゆっくり上っていきます・・・
と、その時!!
背後に見覚えのある青い列車が~!!
あああ~っ!!
慌ててシャッターを押しましたが、時すでに遅し・・・
しかも予想に反して本線を走行していったではありませんか!
まぁ本来はこの時間に本線を走行する列車ですから、当然と言えば当然なのですが・・・
それより悔やまれるのが「はやぶさ」の発見が遅れたこと。
これはこのとき回送線を上っていた787系の影に隠れてしまって全く見えなかったんですよ~(上のソニックの画像を見ると被って見えないことが分かると思います)
こういうことに詳しい熱心な鉄道ファンなら「この時間には回送列車がここを通るから、はやぶさは本線を通るのでは・・・」と予想できたのかもしれませんが^^;
後ろで撮っていた人も私と同じ心境だったようで「まさかあっちとは・・・」と方を落としていました。
この方、ペンタックスのFA☆レンズにタオルを巻いて、自身はカッパを着て大きな三脚で気合いが入っていたのですが、上手く撮れたのかな?
結局小雨の降る中私が撮れたのは柱などに串刺しになった機関車や下の画像のようなつまらないものばかり・・・
撃沈っすw
こんな雨の中“あるもの”を撮りに行ってきました。
まぁ撮りに行くと行っても単なる「記録」として収めたくてね・・・
東京~熊本間を走る寝台特急「はやぶさ」です。
場所は竹下の博多運転区、旅支度を調え出発の時を静かに待っていました。
ん?
はやぶさなら熊本じゃねぇの?
まぁ本来ならこの竹下にいるはずがないのですが、実は昨晩の下り「富士・はやぶさ」が本州内で起きた複数の人身事故により大幅に遅延。
今朝は2時間半遅れで九州入りして博多で運転打ち切り(門司で分かれた「富士」は終着大分まで行ったそうです)となった・・・というニュースを12時頃知りました。
昔、幼少の頃は小運転線(回送線)で竹下客車区(現 博多運転区)に回送される「あさかぜ」を何度も撮りに出かけましたが、ここを通るブルトレはその「博多あさかぜ」廃止後は今回のような時にしかお目にかかれません。
ですからそのニュースを知って速攻で撮りに出かけようと思ったのですが、ちょうどその頃雨が強く降っていまして・・・
とてもじゃありませんが福岡市の外れから出かける気にはなれませんでしたw
しかしどうしても諦めきれません。
どうするか・・・
とその時かみさんが「夕方スーパーまで連れて行って」と・・・
お!
「いいよ~、その代わりちょっと寄り道させてね」
と言うことで竹下~博多間で上り「はやぶさ」を撮りに行くことにしたのです。
で、まずはどこにいるのか確認のため竹下の博多運転区周辺を車で回ります。
そこで最初の画像にある「はやぶさ」を発見。
もっと近くで、しかも前から撮れるところはないかと探しましたが・・・
ムリでした。
昔の「あさかぜ」は竹下客車区(当時)の一番南に泊められていたのですが、ここは竹下駅のホームよりも北側にあり撮影は困難。
雨でしたのでレンズは防滴の16-50mmのみ・・・
これが限界です^^;
そして今回の目的地に移動します。
場所は美野島のガード南側、昔は筑肥線が走っていた辺りです。
今はその筑肥線もなくなり、そのそばにあった九州松下電器への引き込み線もなくなり、それによって空いた場所にJR九州の美野島寮が建っています。
その場所に私を含めて計3人がカメラを構えて待ちます。
今晩博多を発つのが17時33分(のはず)ですから、遅くても30分までには現れるでしょう。
すると博多からの回送(ソニック)がやってきたので、練習がてら撮ってみます。
「はやぶさ」の本番では、上記のような構図で撮れるはず・・・でした。
そのソニックが回送下り線に待避してしばらく止まっています。
恐らくそこを上りの回送列車が来るのでしょう・・・
時間もそろそろ30分を回ろうとしてますので、次にここを通る列車が「はやぶさ」でしょう。
しかし実際に現れたのは黒い787系・・・
ええええ?
博多の発時間が変更になったとか?
その787系が博多駅へとゆっくりゆっくり上っていきます・・・
と、その時!!
背後に見覚えのある青い列車が~!!
あああ~っ!!
慌ててシャッターを押しましたが、時すでに遅し・・・
しかも予想に反して本線を走行していったではありませんか!
まぁ本来はこの時間に本線を走行する列車ですから、当然と言えば当然なのですが・・・
それより悔やまれるのが「はやぶさ」の発見が遅れたこと。
これはこのとき回送線を上っていた787系の影に隠れてしまって全く見えなかったんですよ~(上のソニックの画像を見ると被って見えないことが分かると思います)
こういうことに詳しい熱心な鉄道ファンなら「この時間には回送列車がここを通るから、はやぶさは本線を通るのでは・・・」と予想できたのかもしれませんが^^;
後ろで撮っていた人も私と同じ心境だったようで「まさかあっちとは・・・」と方を落としていました。
この方、ペンタックスのFA☆レンズにタオルを巻いて、自身はカッパを着て大きな三脚で気合いが入っていたのですが、上手く撮れたのかな?
結局小雨の降る中私が撮れたのは柱などに串刺しになった機関車や下の画像のようなつまらないものばかり・・・
撃沈っすw
2008,09,04, Thursday
今日は久しぶりに朝から晴れましたね。
仕事も休みなので、何か撮りに行こうかな・・・
って何を撮る?
あ、そうだ・・・
「はやぶさ」を撮りに行こう!
今まで停車中しかまともに撮ってませんので、今日は走行写真を撮ってみましょう。
さて、ではどこに撮りに行こう・・・
真っ先に思いついたのは”撮り鉄”初心者の私でも比較的簡単に撮れるであろう「多々良川鉄橋」でした。
しかしその時すでに時計は9時半を回ろうとしています。
今からでは到底間に合いませんので、今日は原田~天拝山間の有名なポイントに行ってみました。
場所は鳥栖筑紫野道路(以前の有料道路)の城山インターから東に曲がったところの階段上です。
10時頃到着してカメラを構えていると、初老の男性に声をかけられます。
彼は地元の人で、たまたま通りがかったときに私を見つけたようです。
彼も写真を長年撮り続けている(ニコンを愛用し、デジタルも持っているが銀塩がメインだとか)そうで、ここでも良く撮っているそうです。
初めての私は、この一帯のどこからどのように狙えばいいのかなんてことも分かりませんので、彼からいろいろアドバイスを頂きました。
まぁまぁじゃない?
いえいえとんでもない。
DA50-200mmのテレ端で撮ったのですが、左側にどうしても架線柱が写ってしまいましたのでしっかりトリミングしてありますw
ならばとカメラを右に振り、ちょいと待って撮るとこんどは構図がイメージと違ってしまいます。
立ち位置をいろいろ変えたりして撮ってみましたが、やはり架線柱などが・・・
こちらは上り電車ですが、ここからの狙いはやはり下り列車のみですね。
お目当ての「はやぶさ」が来るまで男性といろいろ話しをしました。
ここで撮るとき、木々に反射された光が列車に与える影響、また季節や時刻による光線状況などのアドバイスも頂きました。
そんなとき「はやぶさ」がやってきました。
うーん・・・
何というか・・・
これは前のほうに出て撮ったのですがダメダメでしたねw
できればもうちょっと線路寄りから撮って架線柱を避け、そしてさらに圧縮効果を強調したかったのですが・・・
ガードレールより中に入るわけにもいきませんし、あまり身を乗り出すのも危険です。
一番上の画像を撮った位置からもっと長いレンズで撮らないとダメですね。
くそ~
300mm持ってくれば良かったか・・・
しかし、高速で向かってくる列車をファインダーの中にバランス良く収めて撮るのは難しいものですね。
何とか鑑賞に堪えるレベルの写真が撮れるまで今後も足を運びたいと思いますw
仕事も休みなので、何か撮りに行こうかな・・・
って何を撮る?
あ、そうだ・・・
「はやぶさ」を撮りに行こう!
今まで停車中しかまともに撮ってませんので、今日は走行写真を撮ってみましょう。
さて、ではどこに撮りに行こう・・・
真っ先に思いついたのは”撮り鉄”初心者の私でも比較的簡単に撮れるであろう「多々良川鉄橋」でした。
しかしその時すでに時計は9時半を回ろうとしています。
今からでは到底間に合いませんので、今日は原田~天拝山間の有名なポイントに行ってみました。
場所は鳥栖筑紫野道路(以前の有料道路)の城山インターから東に曲がったところの階段上です。
10時頃到着してカメラを構えていると、初老の男性に声をかけられます。
彼は地元の人で、たまたま通りがかったときに私を見つけたようです。
彼も写真を長年撮り続けている(ニコンを愛用し、デジタルも持っているが銀塩がメインだとか)そうで、ここでも良く撮っているそうです。
初めての私は、この一帯のどこからどのように狙えばいいのかなんてことも分かりませんので、彼からいろいろアドバイスを頂きました。
まぁまぁじゃない?
いえいえとんでもない。
DA50-200mmのテレ端で撮ったのですが、左側にどうしても架線柱が写ってしまいましたのでしっかりトリミングしてありますw
ならばとカメラを右に振り、ちょいと待って撮るとこんどは構図がイメージと違ってしまいます。
立ち位置をいろいろ変えたりして撮ってみましたが、やはり架線柱などが・・・
こちらは上り電車ですが、ここからの狙いはやはり下り列車のみですね。
お目当ての「はやぶさ」が来るまで男性といろいろ話しをしました。
ここで撮るとき、木々に反射された光が列車に与える影響、また季節や時刻による光線状況などのアドバイスも頂きました。
そんなとき「はやぶさ」がやってきました。
うーん・・・
何というか・・・
これは前のほうに出て撮ったのですがダメダメでしたねw
できればもうちょっと線路寄りから撮って架線柱を避け、そしてさらに圧縮効果を強調したかったのですが・・・
ガードレールより中に入るわけにもいきませんし、あまり身を乗り出すのも危険です。
一番上の画像を撮った位置からもっと長いレンズで撮らないとダメですね。
くそ~
300mm持ってくれば良かったか・・・
しかし、高速で向かってくる列車をファインダーの中にバランス良く収めて撮るのは難しいものですね。
何とか鑑賞に堪えるレベルの写真が撮れるまで今後も足を運びたいと思いますw
2008,09,10, Wednesday
今日も朝から気持ちよい青空が広がっています。
よっしゃ、今日こそ行くぞ・・・
かみさんを職場に送って、そのまま都市高に乗って貝塚方面へ向かいます。
どこかって?
先日「はやぶさ」を撮りに出かける際に行こうと思っていた多々良川の鉄橋。
その時は時間の関係で行くことができませんでしたが、いくらなんでも今日は間に合います^^;
箱崎インターで降りて駐車場へ・・・
一応、事前にネットで駐車場を探してみたのですが、多々良川近辺に無料の駐車場を見つけることができませんでした。
ちょいと場所は離れてますが貝塚公園の駐車場に止めようと向かいました。
「駐車場のご利用時間は9:30~」の看板が・・・
ええ~
仕方ないので近くのコインパーキングに止めて歩くことにしました。
15分ほど歩いて現場に到着。
すでに2人の方が三脚を据えて待ちかまえています。
おはようございます^^
お二人と挨拶を交わし、彼らの隣に三脚を立てて準備します。
そして「はやぶさ」が通過するまで他の列車で練習します。
上から883系、787系、885系と電車特急のオンパレード。
しかし885系だけ車両が真っ白なんで画像が暗いですね^^;
そんな中・・・
415系電車です。
ここ九州ではまだ現役で頑張っていますが、これを見ると何かホッとするんですよね^^;
私が子供も頃はこの先代にあたる421系、423系が主流でしたが、パッと見ただけでは415系と大差ありません(塗色は小豆色+クリーム色でしたが・・・)
ですからこの電車を見ると、南福岡電車区にびっしりと並んでいたあの頃の懐かしい光景を思い出します。
そして・・・
踏切の警報音がなり始め、遠くから「ピー」と心地良いホイッスルの音が・・・
危険を察知してか、架線柱に止まっていたウミネコが慌てて飛び去っていきます・・・
お、いよいよ来たか!
置きピンで狙いの位置よりだいぶ前から連写しました。
惜しむらくは水面に反射した編成が切れてしまったことと、パンタが架線柱と重なってしまったこと。
この2コマ手前の画像をトリミングしてみました。
水面が波打ってなければ尚良かったのですが、川ですから仕方ありませんね。
また、これも残念なことに機関車先頭が架線柱で串刺し。
まぁそれでも初めて撮ったにしては上出来じゃないでしょうか^^;
スッキリと綺麗に撮れるまでにはまだまだ経験が必要ですね。
さて、お目当ての列車を撮り終えたのでさっさと帰りましょう。
他のお二人に声をかけて駐車場に戻ります。
おっと、そうだ・・・
途中に貝塚公園があったので中に入ってみましょう。
貝塚公園・・・
どこかで見たような聞いたような・・・
すると目の前にこいつが現れます。
ああああ!
そうか!
ナハネフ22が保存されている公園がここだったのか!
昭和59年11月に鹿児島総合車両所(当時は鹿児島車両管理所)で検査を受けたのが最後のようです。
「日本国有鉄道」のプレートと「鹿カコ」という略号がまた懐かしい^^
この「鹿カコ」のような略号は、漢字が管轄でカタカナが所属区となります。
ですから「鹿カコ」の場合、JR九州の鹿児島支社(国鉄時代は鹿児島鉄道管理局)の管轄で鹿児島総合車両所の所属ということになります。
後に鹿児島支社がJR九州本社の直轄となり「本カコ」となりました。
ちなみに、南福岡電車区に所属していた車両は「門ミフ(門司鉄道管理局 南福岡電車区)」~「本ミフ(JR九州の本社)」~「北ミフ(北部地域九州本社)」となりました。
ここでややこしいのが「北」です。
以前もちょっと書きましたが、JR発足当時は門鉄のあった門司港にJR九州の本社がありました。
その後、拠点を福岡に移していき本社も福岡に置きました。
ここまでは私でも知っていたことなのですが、以下は後になって調べたこと・・・
福岡に本社を置くということに北九州が反発。
それで北九州に福岡・佐賀両県を統括する「北部地域九州本社」をおくことで決着したとのこと。
じゃ福岡と北九州にそれぞれ「本社」があるのか?
と私も思ったのですが、北部地域九州本社は「支社」となっています。
ということは、本社を置く福岡の所属区に在籍する車両も「北部地域九州本社」の管轄ということになるんですね^^;
しかし今はこの「略号」も少なくなりましたね・・・
竹下所属の「門タケ」なんてのもありましたし、幼少時代よく乗った筑肥線では「門ヒカラ」なんてのを見て笑った記憶があります^^
あの頃は車両一つ一つ見るのも楽しかったなぁ・・・
※ヒカラ=東唐津気動車区
よっしゃ、今日こそ行くぞ・・・
かみさんを職場に送って、そのまま都市高に乗って貝塚方面へ向かいます。
どこかって?
先日「はやぶさ」を撮りに出かける際に行こうと思っていた多々良川の鉄橋。
その時は時間の関係で行くことができませんでしたが、いくらなんでも今日は間に合います^^;
箱崎インターで降りて駐車場へ・・・
一応、事前にネットで駐車場を探してみたのですが、多々良川近辺に無料の駐車場を見つけることができませんでした。
ちょいと場所は離れてますが貝塚公園の駐車場に止めようと向かいました。
「駐車場のご利用時間は9:30~」の看板が・・・
ええ~
仕方ないので近くのコインパーキングに止めて歩くことにしました。
15分ほど歩いて現場に到着。
すでに2人の方が三脚を据えて待ちかまえています。
おはようございます^^
お二人と挨拶を交わし、彼らの隣に三脚を立てて準備します。
そして「はやぶさ」が通過するまで他の列車で練習します。
上から883系、787系、885系と電車特急のオンパレード。
しかし885系だけ車両が真っ白なんで画像が暗いですね^^;
そんな中・・・
415系電車です。
ここ九州ではまだ現役で頑張っていますが、これを見ると何かホッとするんですよね^^;
私が子供も頃はこの先代にあたる421系、423系が主流でしたが、パッと見ただけでは415系と大差ありません(塗色は小豆色+クリーム色でしたが・・・)
ですからこの電車を見ると、南福岡電車区にびっしりと並んでいたあの頃の懐かしい光景を思い出します。
そして・・・
踏切の警報音がなり始め、遠くから「ピー」と心地良いホイッスルの音が・・・
危険を察知してか、架線柱に止まっていたウミネコが慌てて飛び去っていきます・・・
お、いよいよ来たか!
置きピンで狙いの位置よりだいぶ前から連写しました。
惜しむらくは水面に反射した編成が切れてしまったことと、パンタが架線柱と重なってしまったこと。
この2コマ手前の画像をトリミングしてみました。
水面が波打ってなければ尚良かったのですが、川ですから仕方ありませんね。
また、これも残念なことに機関車先頭が架線柱で串刺し。
まぁそれでも初めて撮ったにしては上出来じゃないでしょうか^^;
スッキリと綺麗に撮れるまでにはまだまだ経験が必要ですね。
さて、お目当ての列車を撮り終えたのでさっさと帰りましょう。
他のお二人に声をかけて駐車場に戻ります。
おっと、そうだ・・・
途中に貝塚公園があったので中に入ってみましょう。
貝塚公園・・・
どこかで見たような聞いたような・・・
すると目の前にこいつが現れます。
ああああ!
そうか!
ナハネフ22が保存されている公園がここだったのか!
昭和59年11月に鹿児島総合車両所(当時は鹿児島車両管理所)で検査を受けたのが最後のようです。
「日本国有鉄道」のプレートと「鹿カコ」という略号がまた懐かしい^^
この「鹿カコ」のような略号は、漢字が管轄でカタカナが所属区となります。
ですから「鹿カコ」の場合、JR九州の鹿児島支社(国鉄時代は鹿児島鉄道管理局)の管轄で鹿児島総合車両所の所属ということになります。
後に鹿児島支社がJR九州本社の直轄となり「本カコ」となりました。
ちなみに、南福岡電車区に所属していた車両は「門ミフ(門司鉄道管理局 南福岡電車区)」~「本ミフ(JR九州の本社)」~「北ミフ(北部地域九州本社)」となりました。
ここでややこしいのが「北」です。
以前もちょっと書きましたが、JR発足当時は門鉄のあった門司港にJR九州の本社がありました。
その後、拠点を福岡に移していき本社も福岡に置きました。
ここまでは私でも知っていたことなのですが、以下は後になって調べたこと・・・
福岡に本社を置くということに北九州が反発。
それで北九州に福岡・佐賀両県を統括する「北部地域九州本社」をおくことで決着したとのこと。
じゃ福岡と北九州にそれぞれ「本社」があるのか?
と私も思ったのですが、北部地域九州本社は「支社」となっています。
ということは、本社を置く福岡の所属区に在籍する車両も「北部地域九州本社」の管轄ということになるんですね^^;
しかし今はこの「略号」も少なくなりましたね・・・
竹下所属の「門タケ」なんてのもありましたし、幼少時代よく乗った筑肥線では「門ヒカラ」なんてのを見て笑った記憶があります^^
あの頃は車両一つ一つ見るのも楽しかったなぁ・・・
※ヒカラ=東唐津気動車区
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