もはや病気か・・・
今月6日から私一人で旅に出てきました。
ここで「旅」と書いた時点でもう”あれ”しかないとお思いでしょうが、まさにそれです^^;
前回、最終「なは・あかつき」の復路で乗った「はやぶさ」にどうしてももう一度乗っておきたいと思ったんです。
乗るからには明るい時間の長い夏場と思い、夏至辺りに・・・と思ったのですが都合が付かず、今月何とか休みをもらって乗ってきました。
乗車区間はもちろん「はやぶさ」で熊本~東京、帰りは「富士」で東京~大分の全区間乗車。

ということで今日から数日間、また同じような内容をずらずらと書き綴っていこうと思います。


さて、6日出発と決めたのは7月初め。
そして7月6日に10時打ちで「はやぶさ」のシングルデラックス(一人用A寝台個室)を確保し、その翌日下り「富士」のシングルデラックスを確保。
できれば東京で一泊してゆっくりしてきたいと思っていたのですが、8月8日は金曜日。
さらに子供や学生は夏休み・・・ということで個室は瞬殺で確保することができませんでした。

まぁこれは事前に予想していたわけで、だから6~7日の日程を組んでいました。
とりあえず8日発の切符は出発間際までキャンセルが出るのを待つことにしました。

しかし、この時期にポンとキャンセルが出るはずありません。
とうとう出発の6日、熊本への列車に乗る前に窓口で確認しても「満席」でした。
もうこの時点で諦めて熊本へと向かいました。



熊本までの列車はこの787系の「リレーつばめ」です。
カラフルな列車が多いJR九州の中では逆に目を引きますね、この色は・・・



で、席は当然グリーンです。
JR九州は他社と違ってグリーン料金がお安いんですよね^^
博多からだと大分、熊本、長崎などまでなら1530円でOK。
今回もいつものように特急回数券(2枚きっぷ等)を使用しますが、熊本までのヤツは自由席タイプ。
ですからその切符で指定席を利用するなら別途指定席料金500円が必要になるんです。(ちなみに、大分への特急回数券は指定席に乗車できますが、この時期は繁忙期になるので別途500円必要)
指定席タイプでも自由席を利用できます(もちろん繁忙期における別途料金も必要なし)が、繁忙期というだけあってホームの自由席乗り込み口には長い列が・・・
よって、グリーン車利用と通常の指定席利用との料金の差は1030円に縮まりますので、私は迷わずグリーン車を選択しますね(綺麗な?つばめレディーが飲み物持ってきてくれるし^^;)

ということで意気揚々と1号車に乗り込みます・・・



ほぉ~



へぇ~



よっこらしょっと・・・




そう、今回初めてグリーン個室を利用しました。
ここは787系の編成に1室だけある4人用の完全個室で席番は8になります。
このグリーン個室、JR九州の場合は一人で利用してもグリーン料金は二人分(運賃、特急料金または回数券は乗車人数分)でOK。
つまり3060円払えばこの空間を独り占めすることが出来ます。

乗り込んですぐに写真を撮って中を見回していると、つばめレディーが(勝手に覗くんじゃねぇよ!って目で)「何かお探しですか?」と・・・
一人で個室を利用する人って、やはり珍しいんですかね^^;

さぁ、そろそろ出発です。
着替え(一応3日分)とカメラなどを詰め込んでヤケに大きく重いバッグですが、それを持ち上げて乗せる必要なんてありません。
っていうか、どこに置けばいいか悩むくらいですw
とりあえず空いているソファーに置いて、イスに座ったりソファーに座ったりしていると先ほどのつばめレディーが飲み物を聞きに来ました。
その瞬間、・・という「間」と彼女の「へ?」という顔つきに思わず笑ってしまいました^^;

そして1時間半ほどで熊本に到着。
短い時間ではありましたが非常に満足できました^^



ホームに降りて時計を見るとまだ15時前。
「はやぶさ」出発まで1時間以上あります。
とりあえず改札を出て、荷物をロッカーに入れてブラブラするか・・・

ん~どこへ行こうかな・・・?



さて、今日はこのへんにして、はやぶさ乗車の話はまた明日にします。

| 鉄道::2008年夏「富士・はやぶさ」の旅 | 22:20 | comments (0) | trackback (0) |
「あさかぜ」みたいな「はやぶさ」って・・・
クソ重いグレゴリーを担いで階段を上り下りして改札を出ます。
しかしなにやら改札が騒々しい・・・
何かトラブルかな?と私はそれを横目にコインロッカーへ急ぎます。
そしてカメラ関係をドンケに移してどこへ行くか考えよう・・・
その前に8日の個室が空いてないか聞いてみようと緑の窓口へ向かいました。
その途中なにやら騒がしい改札の前を通るとホワイトボードに衝撃の文字が!

「本日のはやぶさ号は熊本~博多間運休」

は?

なに運休て?

昨晩の大雨の影響で・・・?

あああああ!
昨日は博多で打ち切ったのか~!
私と同じようにこの掲示板を見たと思われる乗客たちが改札で駅員に質問しています。
騒々しかったのはこれか・・・

これを見て急いで窓口へ行きます。
「はやぶさ」の切符を見せて「どうしたらいい?」と聞くと・・・
16:10発の「有明」に乗り、そして小倉で「はやぶさ」に乗り換えろだと。

オイオイオイ

俺はここから「はやぶさ」に乗るためにわざわざ博多から出てきたんだぞ!
まぁ博多まで運休になったのは仕方ないので諦めよう。
しかし、何故に小倉まで「有明」に乗らなければならないんだ?
しかも「自由席」に乗れだと?(当然ですがw)
俺はオロネの切符を持っているんだからグリーンに乗せろよ!

なんて思いながら駅員に「博多で連絡できないの?」と問うと「博多だとはやぶさに追いつけないんですよ」と・・・

うーん、しかし諦めたくないな・・・
なにげに時計を見ると15:00。
駅員に「15:10発の有明なら博多で乗れますよね?」と聞くと、時刻表をめくりながら「そ・う・ですね・・・」と。
そして「この列車で承認もらえるか聞いてきますね」と言って奥の部屋へ・・・

急いで出てきた彼の手には承認を受けた業務連絡書がありました。
ちなみにその内容は・・・

「各関係カレチ(車掌、つまり客扱い列車長の電略) 、駅長殿。
本書をお持ちのお客様は、はやぶさ号熊本~博多運休のため便宜乗車願います。乗車列車は熊本15時10分発 特急有明22号 博多駅はやぶさ乗り換え。
原券を払い戻ししない条件 自由席にご乗車下さい。
旅客指令○○社員承認」

とあります。
しかも熊本発の時間と列車名、そして乗換駅が書き換えられて訂正印が押されています。
恐らく本日「はやぶさ」に乗車するお客のためにすでに用意されていたものをコピーして書き直したのでしょう。
しかしコピーで大丈夫なの??

とにかくこれをもらってすぐにロッカーに入れたバッグを取り出し、大急ぎでホームへ向かいます。
自由席に乗る乗客の列に並び、バッグを降ろす間もなく列車が入線。

ふう・・・

ここに来る前の博多駅では「はやぶさ」運休のことは(恐らく)告知されていなかったと思います。
まぁ博多駅にいる人は博多駅で乗るのが普通ですから、別に熊本~博多間の運休を知らせる必要もないでしょうし・・・
何よりこの手の情報が詳細に分かる2chですが、私も出発寸前までチェックしていました。
いつもなら「○~○間定通」「○時間遅れてる」「○○駅○分遅発」とか速報のように書き込まれるのですが、ここでも「博多打ち切り」や「運休」などの書き込みはありませんでした。
ですから私はこんなことになっているとは知らずに熊本へ出てきたわけです。
それが今、また博多まで戻ることになろうとは・・・w

まぁたまにはこういうことを経験するのもいいでしょう。

さて、検札にきた車掌に「業務連絡書」を見せます。

「あ、ああ~ハイハイ、分かりました」だと。

オイオイ、謝罪の言葉はなしか?
熊本に着いてすぐ博多まで戻るハメになったってことはどうでもいい。
熊本から博多まで1時間半の「はやぶさ」の旅を奪われたのが非常に残念でなりませんw

しかし、残念なことばかりではありませんでした。
実は熊本駅の窓口で承認を待つ間、8日発の上り「富士」の個室が空いていないか尋ねたところ幸運なことに一つだけ「ソロ」が空いていました。
しかも奇数番(1F進行方向向き)の真ん中寄り^^
7日発下り「富士」のシングルデラックスから速攻で乗変しました。

これで東京に一泊できる・・・助かった・・・

当初は7日のお昼に叔母さんの職場付近で落ち合っておみやげを渡し、その後昼飯食べて大宮の鉄道博物館に行く予定でした。
そしてその日の18:03発の「富士」に乗車するという強行軍となるはずでした。
それが一泊できるなら叔母さん宅でゆっくりできますし、何より「風呂」に入ることができますw

有明の座席で退屈な時間を過ごし、16時半頃に博多到着。
「はやぶさ」は17:33発ですから1時間ホームで待ちます。
その間叔母さんに連絡して一泊できることになったことを話すと「私も仕事が残っていたので助かった」と・・・
なんでも依頼された記事の締め切りが7日だったとかで、これで今日は徹夜しなくて済むと大喜び・・・

大迷惑じゃんwww

しかしこれで私も気兼ねなく東京へ行くことができます。
叔母さんの家に行くのもかれこれ20年ぶりなので楽しみです。

さて、そうこうしていると「はやぶさ」が入線してきます。



何事もなかったように博多駅の3番線に滑り込んできます。
中には当然乗客の姿はありません。
停車時間こそ短いものの、こう見ると博多始発の列車そのもの・・・

あ、昔の「あさかぜ」を思い出すな~
当時の「あさかぜ」の24系25型の編成は、機関車の轟音に続き線路のジョイント音だけを響かせながら、静かにゆっくりと4番のりばに入線してきたものです。
あの頃は長編成のブルトレは4番のりばに入線していましたが、今は工事の関係でそのホームの前側が使用できませんし、ホーム自体も昔とはずいぶん変わりました。
しかし、博多に止まる九州ブルトレで唯一残った客車6両の短い「はやぶさ」には3番のりばだろうが4番のりばだろうが関係ありませんw
昔はホームの屋根のないところまで目一杯に止まっていたのに・・・

さぁ、停車時間はわずかですので急いで乗車します。



これが1人用個室A寝台の「シングルデラックス」です。
オロネ25の0番台から改造されたオロネ15の3000番台です。
改造に伴い形式変更されたとはいえ、寝台設備は当初からほとんど変わらない元祖「シンデラ」です。
「あけぼの」や今は亡き「あかつき」のシングルデラックスは開放寝台からの改造で室内も広く豪華なのですが、このオロネ15-3000番台は室内の前後長が短くちょいと窮屈に感じます。

実はシングルデラックスに乗るのは生まれて初めてなんです。
子供の頃よく乗っていた「あさかぜ1/4号」にも同じ車両があった(当時はまだシングルデラックスの愛称はなかった)のですが、寝台料金の高さゆえ親に「個室A寝台に乗りたい」とも言えず、今年「なは・あかつき」のシングルツインに乗るまで開放B寝台しか乗ったことがなかったんです。
で、今回初めてA個に乗ることになったのですが、この車両に乗る目的がもう一つありました。
それがこれ・・・



このヘッドマーク・・・
昔のタオルには「あさかぜ」「出雲」「はやぶさ」「富士」の組み合わせだったと思うのですが、今は「さくら」「はやぶさ」「富士」となっています。
白地に赤桜のマークが懐かしいですが、すでにその「さくら」も廃止されてしまいましたね・・・

さてこのシングルデラックスですが、「独房」と揶揄されただけあってその狭さは否めません。
個室内の洗面台は重宝しますが、これが邪魔で窓側に座ると膝が入りません。
それを考えると「富士・はやぶさ」に乗るなら「ソロ」がオススメですね。
ベッド部のヘッドクリアランスは制限されますが、この「シングルデラックス」よりゆったり座れますし、料金も半額以下(開放B寝台と同じ)なのでコストパフォーマンスもいいです。

しかし生まれて初めてのシングルデラックス。
25年ほど前から一度は乗ってみたいと思っていたこの車両。

感慨無量っすw

そんな昔のことを思い出しながら外を見ていると、徐々に日が傾いてきました。
そろそろ小倉へ到着します。
小倉を出ると「富士・はやぶさ」の一大イベントが催される門司駅へ止まります。


| 鉄道::2008年夏「富士・はやぶさ」の旅 | 19:31 | comments (0) | trackback (0) |
42レから2レへ・・・
博多特発となった42レ「はやぶさ」がいよいよ門司駅に到着です。



ここで大分からやってきた2レ「富士」に併結され、約30分後に発車します。
その間大勢の乗客がホームへ降りてきます。
機関車の交換作業を見る者、缶コーヒー片手にタバコの煙を揺らしている者、車販がないため飲食物を買いだめしている者・・・
中には一旦改札を出てコンビニで買い物をしてくる強者もいます^^
私は「富士」到着まで小倉側でじっと待ちます。



方向幕はやはりこの「国鉄タイプ」がいいですね。(しかし号車札が手書きて・・・w)
子供の頃、行き先のこの「東京」の文字を見ると妙にドキドキしたものです。
ここ九州からはるか彼方1000km以上先の東京まで、しかも十数時間かけて走るのかと思うとわくわくドキドキ、もう楽しくて仕方ありませんでした^^;
同じ鉄道では新幹線がありましたが、あれは私の中では”別物”でしたね。
専用のホームから乗り込み、専用の車両で専用の線路を走る。
スピードはすさまじく速く、通り過ぎる景色を眺める余裕すら与えません。
あれに乗っていても「旅」をしている気分にはなれないんですよね・・・

さて、機関車をED76からEF81に繋ぎ替えた「はやぶさ」は、しばらくすると6番のりばから一旦下関側に待避します。
スハネフのエンジン音がないと非常に静かに感じます。
国鉄時代の雰囲気を残した夕方の門司駅は旅愁を漂わせていい感じです^^;
最近はどの駅も高架になったり改装されて綺麗になったりしていますが、ここ門司駅や下関駅などのような一見汚く寂しい雰囲気がまたいいんですよね・・・
特に夜行列車ではこういう雰囲気がピッタリです^^;



と、このとき「はやぶさ」を博多から牽引してきたED76が引き上げていきます。
そしてしばらくすると大分から「富士」がお隣5番のりばに到着です。



「富士」は「はやぶさ」を連結するためホームの中ほどで停車し、すぐ機関車を切り離します。
私もその連結作業を見るため先頭へ行きますが、いや~すごい人・・・
夏休みとあって子供連れがかなり多いですね~
また若い女性から老夫婦まで、この大勢が皆一様にカメラを向けている姿はちょっと奇妙ですよねw
隣のホームにいるお客が不思議なものを見ているような顔でこちらを見ていますw



そうこうしていると待避していた「はやぶさ」が推進運転(後ろから機関車に押される形)で5番のりばにやってきました。



もう押すな押すなの大盛況w
ディーゼル音のけたたましいスハネフとスハネフの間で係員が手際よく連結作業を行います。
ここで私は先頭へ・・・



今日は410号機・・・か。
旅客列車を引くJR九州所有(大分車両センター配備)のEF81はこの410号機と411号機のたった2機のみ。
まぁ、今となっては関門間を通る客車列車はこの「富士・はやぶさ」しかありません(季節運行でムーンライト九州がありますが)からね・・・
「さくら」「みずほ」「あさかぜ」などの九州ブルトレや、「なは」「あかつき」「明星」「彗星」などの関西ブルトレがまだたくさん走っていた頃はてんやわんやだったでしょうね。

旅客列車の機関車交換と併結作業という今となっては珍しい作業が終わると、定刻より若干遅れて門司駅を出発しました。
出発後すぐに関門鉄道トンネルで海底へと潜っていきます。
そして10分あまりで本州の玄関口である下関に到着です。

ここ下関でEF66に機関車を交換します。
この頃になると辺りは薄暗く、しかも機関車はホームの端のほうに設置されている柵の外側で交換します。
ですから先頭を撮影することはできませんので私は個室で弁当を平らげますw
ここ下関も昔は先頭の写真が撮れたんですけどね・・・
といっても機関車はホームからはみ出ていたので、皆ホームから線路内に降りて撮っていました。
まぁ当時でもしてはいけない行為なのですがw
出発時刻が近づくと「そろそろ出発しますよ~」と運転士や車掌が知らせてくれていたのを思い出しますw

さぁ、いよいよ本州に入りました。
車内のあちこちではしゃぎ回っていた子供たちも静かになり、ここからしばらくまったりタイム^^
室内の照明を全て消して外を眺めます。
暗闇の中に点々とする人家らしき明かり。
たびたび通過する踏切の赤色灯と音。
そして徳山近辺での迫力あるコンビナートなどなど。
夜の車窓でも私は飽きることがありません。

気がつくとすでに岡山を過ぎており、名古屋到着までちょいとお休みなさい・・・


| 鉄道::2008年夏「富士・はやぶさ」の旅 | 17:59 | comments (0) | trackback (0) |
富士の高嶺に・・・
この日は名古屋で起きる予定がすっかり寝込んでしまいヒヤッとしましたが、何とか浜松到着までに起きることができました。
浜松から車内販売が開始(名古屋で乗車して浜松から販売開始)されますのが、巡回してくるのを待っていると売り切れる可能性もありますのですぐに買いに出かけます。
すでに数人の客が待っており、私もその後ろに並びます。

無事弁当をゲットし、自室でゆっくり食べますか・・・
しかし今日はいいお天気。
先日までは不安定な天気だったようですが、今日は夏らしい強い日差しが窓から差し込んできます。

しばらくすると静岡に到着。
そして富士川の鉄橋を渡るまで通路で外を眺めます。
昔はこのへんで「左手に富士山が見えます・・・」なんて放送があったと思うのですが、今はしていないんですね・・・



富士川の鉄橋から撮った富士山ですが、その高嶺には雪ではなく雲が・・・
しかも薄汚れた窓越しでの撮影だったため、なんともヌケの悪い画像になってしまいました^^;
ちなみに在来線の富士川鉄橋、上り線にはトラスがありませんのでクリアな状態で富士山を撮影することができます。

その後右手には駿河湾のすばらしい景色が広がり、熱海を出ると今度は相模湾。
そんな車窓をしばらく楽しんだ後、あっという間に横浜に到着。
子供時代によく乗った「あさかぜ」の時もそうでしたが、ここ横浜はとても恥ずかしいんですよね・・・
出勤や通学の乗客でごった返していますから、その視線がこちらに集中します。
以前も書いたように「ちょっと優越感に浸れる」一方で、何となく私生活を覗かれるようで恥ずかしいんですよね・・・
だから寝台はある程度整頓しておかないとね^^;

さぁ、横浜を出るとあと30分足らずで終点東京に到着します。
子供の頃、山手線や京浜東北線と抜きつ抜かれつ併走しているのを初めて見たとき「東京ってすごい・・・」と感動したものです。
九州では電車が併走する光景を見ることなんてありませんから^^;

早めに荷物を整理してデッキで到着を待ちます。
そして、約16時間半の長旅を終えて東京駅の10番のりばに降り立ちます。
毎度のことですが、この瞬間の寂しさといったらたまりませんw
しかしゆっくりしてはいられません。
下関からここまでまだEF66のお顔をこの目で見ていませんから、機回しされる前に写真を撮らなくては・・・



下関からの長旅ご苦労さん。
でもこの47号機もあと8時間後にはまた下関まで引っ張っていかねばならないんですがね・・・
しかしここ東京駅もカメラを手にした人が大勢います。
この時、ホントはもうちょっと引いて撮りたかったのですが、後ろには人壁があって下がれませんでした^^;



お隣には上越新幹線のオール二階建て車両E1系が止まっています。
この新幹線ホームができる前は、そこにあった11番線(機回し線)で機関車の機回しをしていたのですが、今は隣の9番線で機回ししています。



と、そこで9番線を機関車が通過していきました・・・
乗客を降ろしあと車内点検をし、この機関車を反対側に連結して田町まで回送します。

しかしこの日は暑かった・・・
下車してそれほど長い時間は経っていないのに、すでに汗だくです^^;
回送を見届けたあとはたまらず涼を求めてコンコースへ・・・
とりあえずコインロッカーに荷物を預け、冷たい飲み物でも飲みますか。
そしてそのあと大宮へ足を運びます。


| 鉄道::2008年夏「富士・はやぶさ」の旅 | 20:46 | comments (0) | trackback (0) |
テッパクへ・・・
どこか涼しいところで冷たい飲み物でも・・・
と階段を下り、荷物をロッカーに預けます。
さすが東京駅、人も多いですね・・・
ここから各方面への路線が蜘蛛の巣のように広がっており、その乗り換えの乗客で一日中混雑しています。
そのためか、改札内のコンコースがやたら広く、ちょっとしたショッピングモールみたいでお店も充実してますね。
博多駅とは大違いですw

もちろん改札内にも星の数ほどのコインロッカーがありますので、適当なところを見つけて荷物を押し込みます。
そして東京エキッチンでサンドイッチとアイスティーを注文。
ここの中にあるイートインは平日なら終日喫煙(分煙)できますので助かります^^;

さて、腹もいっぱいになったし汗も引いたのでそろそろ鉄道博物館に行きますか・・・

ここで京浜東北線に乗り大宮まで行きます。
しかし、ここ東京に荷物を置いていったのがあとで災いします・・・
まぁそれは後ほど書くとして、とりあえず大宮まで行きます。

大宮で一旦降り、ニューシャトル(埼玉新都市交通伊奈線)で一駅目の「鉄道博物館(大成)駅」で下車します。
このニューシャトルは東北・上越新幹線の高架に両端に並行して走行します。
車輪はゴムタイヤで、車両は横も幅もコンパクト。
大宮駅で待っていると、とても鉄道とは思えないほど急なカーブを静かに曲がってきます。
小さな車両ですから、車内はたちまち超満員。
この乗客のほとんどが鉄道博物館で降りていましたね・・・

さて、鉄道博物館は駅を降りるとすぐです。
乗客のほとんどが博物館に行くようですので、案内板などを見なくても人の流れに任せて歩いていけばOK^^

博物館までの連絡通路を歩いていると、なにやら数字や文字が・・・



こ、これは時刻表!
どうも東北新幹線の時刻表みたいですね・・・

帰宅後調べてみると、これは東北新幹線の開通時からの時刻表が描いてあるそうです。
こういった演出は面白いですね^^



ここが交通博物館に替わる施設として昨年10月に開館した鉄道博物館の入り口。
さて、入りますか・・・
今日は平日ですから、お客はそれほど多くないな・・・

なんて思っていたら、中は凄まじいことになっていました^^;
平日といえども学校は夏休みですから、子供連れの多いこと多いこと・・・
入ってすぐの「日本食堂」(懐かしいっすね・・・)には長蛇の列w

「親は大変だなこりゃ・・・」

なんて思いながら右手へ進み、とりあえず喫煙ルームで一服しておこうと2階へ上がります。
その時目に飛び込んできたのが・・・



本物のステンドグラスです。
詳細は長くなりそうなので鉄道博物館のHPで・・・^^;

しばらく眺めたあと、いよいよお目当ての場所を2階から・・・



わぉ!

早速降りてみます。
このヒストリーゾーンには35両の実物車両が展示されており、中には御料車もあります。
この中でも一番見たかったのはやはりこれ・・・



ナハネフ22-1です。
これは20系客車で当時の二等寝台(現B寝台)緩急車ですが、向かって左側の窓が展望窓(もう片方は車掌室)となっています。
博多~東京間を結ぶ「あさかぜ」に初めて導入され、冷暖房完備で食堂車は当然のこと、ロネ(現A寝台)を多数繋いだ豪華な編成は”走るホテル”と言われました。
この20系のボディーカラーがブルー(青15号)だったため「ブルートレイン」と呼ばれるようになり現在に至ります(現在の14系、24系車両は一部を除いて青20号)。

私自身、20系の列車には何度か乗ったことがあります。
初めて乗ったのは臨時「あさかぜ」でした。

何年前だか正確な年は覚えてませんが、私がまだ小さかった頃の正月に東京に帰省した時でした。
行き(上り)はいつもの「あさかぜ4号」だったのですが、帰り(下り)の「あさかぜ1号」の切符が取れなかったらしく、親父が私に手渡してくれた切符には「あさかぜ51号」と書いてありました。

なに51号て・・・

臨時列車のことなんてまだよく知らない子供の頃でしたから、別に臨時列車でも「あさかぜ」ならいいや・・・くらいにしか思いませんでしたね。
で、乗車当日東京駅に行くとそこには見慣れない車両があるじゃありませんか。
それが20系客車との初めての出会いだったわけで、私はもう嬉しくて嬉しくて^^;
雑誌などで見たことはありましたが、実際にこの目で見ることができるとは・・・
しかもその列車に乗ることができるとは・・・
その晩はほとんど眠ることができず、長い時間このナハネフ22の展望窓から流れ去る風景を眺めていました。
その後は「日南」「かいもん」でも乗る機会がありましたが、やはりあの「あさかぜ51号」での印象が一番大きかったですね。
(大山へのスキー旅行で毎年乗っていた急行「さんべ」にも20系寝台車が連結されてましたが、乗車していたのは毎回12系の座席車でした)



ベッドは窮屈な三段式。
同じ三段式でも寝台の高さは583系の電車寝台のほうが若干高かったかな?



各所曲線で構成されたデザインは古く臭さを感じさせず、今でも十分通用すると思いませんか?

ちなみにこのナハネフ22のトップナンバーは昭和61年に廃車され、その後ずっと大船工場(現在の鎌倉総合車両センター)で保管されていました。
そして今、ここ鉄道博物館で展示されています。

さて、その他いろんな車両が展示されているのですが、全てここで紹介できません。
っていうか、ナハネフだけでかなり語ってしまいましたので、他は割愛させていただきますw

最後に一つだけ・・・



子供の頃、この後のタイプのほうは多く目にしましたが、これも見たことはあります。
しかしJNRのマークが懐かしい・・・
垢抜けない「JR」のマークより、国鉄当時の「JNR」マークのほうがはるかにかっこいいと思いますがね^^;

かなりの時間をここ鉄道博物館で過ごしてしまいました・・・
そろそろ叔母さんの家に行くことにしましょう。

あ、でも長くなりましたので続きはまた明日です^^

| 鉄道::2008年夏「富士・はやぶさ」の旅 | 21:05 | comments (0) | trackback (0) |

  
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