土石流・火砕流の爪痕・・・
美味しい具雑煮を頂いたあと、南島原にあるとある道の駅へ向かいます。


「みずなし本陣ふかえ」という道の駅には「土石流被災家屋保存公園」なるものが隣接されています。
文字通り普賢岳噴火の際に発生した土石流の被害に遭った家屋を保存している施設です。
せっかく島原にやってきたわけですから、24年前に起こった大災害の痕跡ををあらためて現地で見てみたいと思いました。








このように土石流に巻き込まれて埋もれてしまった住宅11棟が当時のまま保存されています。








そのうち大型のテントの中には3棟保存されていますが、3番目の画像にある立派な家は移築された家だそうです。






ゆっくりと押し寄せてきた土砂は、建物を崩壊させることなく3mほど堆積しています。

これらを見た時、正直驚きました。
建物が押しつぶされたり流されてしまうと痕跡はほとんど残らないわけですから、その惨状をそのまま後世に残すことは困難です。
しかしこのような状況で被災した建物ならそのまま保存できますよね。

当時のまま・・・このキーワードは重要です。

ネットでこの施設の存在は知っていましたが、実際に自分の目で見てみるとその衝撃は想像以上でした。
中学生の修学旅行で鹿児島に行った際、桜島の火山灰に埋まった鳥居を見た時と同じ感覚。
自然の恐ろしさをあらためて思い知りました。


さて、保存家屋を見たあとはもう一つ見ておきたいものがあります。
ここから東に車を走らせると「大野木場砂防みらい館」という施設があります。
ここには火砕流の被害に遭ったある建物が保存されていました・・・






旧大野木場小学校です。
この小学校のすぐ裏を流れていった火砕流の被害に遭い全焼しました。
驚いたのはこれが火砕流本体に飲まれて被災したわけではないということ。
この火砕流は北側にある溶岩ドームから流れてきて水無川付近で東に向きを変え、小学校の裏を川に沿って流れていきました。
火砕流の直撃は受けなかったのにどうしてここまで被害を被ったのか・・・

それは、熱風・・・

火砕流本体は川に到達すると向きを変えましたが、熱風はそのまま直進して水無川の南側を焼き払っていったのです。
600℃以上ともいわれる熱風に近隣の住宅150戸以上が全焼し、大野木場小学校も内部がほとんど焼失。
特に西の端にあった理科室は床は全て焼けてなくなりました。
それらはそのまま今も保存されているのですが、なんと衝撃のあまり内部の写真を撮り忘れてしまいました・・・w




これは校庭にある大きなイチョウの木。
この木も熱風に焼かれて黒焦げになったそうなのですが、奇跡的に復活して立派な姿で同じ場所に立っています。

さて、これまで雲仙普賢岳の災害遺構を2つ見てきました。
当時高校生だった私はテレビで毎日のようにこの普賢岳のニュースを見ていましたが、あれから24年・・・
その爪痕を今、こうやって自分の目で見て初めてその恐ろしさが少しでも実感できたような気がします。

かみさんもその事実は知識としてありながらも、実際にこうやって保存された現場や資料を見ることでいろいろと実感できたのではないかと思います。
特にかみさんは実家が東日本大震災で津波の被害に遭っているわけですから、それと重ね合わせているのか神妙な面持ちでこれらを見ていましたね。

「勉強になった」

あまり聞かれない言葉をかみさんの口から聞いた時は、見に来てよかったと思いました。


さぁ、そろそろ次に進みましょう。
ここまでのロケーションが非常に暑かったため、少し涼みに行きましょうか・・・

| 旅::雲仙・島原の旅 | 09:36 | comments (0) | trackback (0) |
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